「続・ペコロスの母に会いに行く」
前作はベストセラーになり、映画化されたがこの続編も傑作だ。
軸はゆういちと認知症の母みつえと酒乱であった父の物語なのだが、時空を自由に超え、現在の自分が過去の自分に語りかける(現在の自分が未来の自分から語りかけられる、とも言える)。
例えば「生まれる」では幼いゆういち(作者)が風邪をひき、幻影を見る。次のページでは現在のゆういちが同じ幻影というか妄想を思い出す。それは死んだ父が生まれてくる母を引きずっているというもの。場面はさりげなく(このさりげなさが作者のうまいところ)母が生まれる日の夜になり、母のみつえが生まれる。
そしてモノローグ。
「亡くなることは生まれることかもしれない
そして
生まれることは亡くなること」
「いまここ」では臨終のみつえが子どもの自分に現れる。
子どものみつえは未来の自分に叫ぶ。
「おばあちゃん、何て言いなったと〜?」
おばあちゃんのみつえにいっぱい生きるんだぞ!
と言われた子どものみつえは
「おばあちゃん、うち、いっぱい生きるばい!」
と未来の自分に叫ぶのだ。
作者は言う。
「自分が生きているということは父と母も生きているということ」
私はこの8コマ漫画を読んで四コマ漫画でありながら大河ドラマである業田良家の名作「自虐の詩」を思い出さずにはいられなかったし、さらに手塚治虫の「火の鳥」にまで思いを馳せる読者も少なくはないと思う。
昭和25年生まれの作者はビートルズに多大な影響を受けたシンガーソングライターでもあるが、画風は一見軽快なエンターテイナーのポールであるが、実はジョンではないか。読んでいると脳裡に「She's so heavy」がずっと鳴っていた。
酒と短歌を愛し、道端で酔い潰れる父は長崎での被爆体験者でもあった。
作者は自分自身も含め、人間の弱さを許容し、慈愛の目で父や母や他の人々を見る。かつて故郷を捨てて上京し、現在は家族で住む長崎も同じように。