完璧主義をやめてみたら。
こんにちは。
キャリアコンサルタントの大塚みきです。
突然ですが完璧主義の方、いらっしゃいますか?
私は子供時代から割と完璧主義寄りでした。
今日はそんな”ほぼ完ぺき主義”の私が完璧主義をやめたら、心も頭もラクになった話をしたいと思います。
完璧主義=良い子だと思ってた
元々母親が完璧主義だったため、そんな母の姿を見て「完璧主義ってすばらしいことなんだ」「完璧主義であることこそが、すごい人なんだ」と無意識に思っていました。
母に比べると私はズボラだし、めんどくさがりだったので、全方位に対して完璧主義ではありませんでしたが、勉強だったり仕事だったり人間関係に関しては完璧でないといけない、それに到達していない自分はまだまだ全然ダメなんだ、と思いやすい傾向にあったんじゃないかなと思います。
そのまま大人になった私ですが、完璧主義なあまり、自分へのハードルがどんどん高くなっていき、もちろんそんな高いハードルに到達できないので、いつもどこかで「自分はまだまだなので」と見えない何かに遠慮し続けて、やりたいことに飛び込みたい気持ちを制御してしまっていました。
完璧=自分の作り上げた幻想
仕事でもプライベートでも、頑張っても頑張っても「まだまだ」と過小評価をしすぎて辛くなっていた社会人生活。
テストであれば点数というわかりやすい数字がありますが、社会人になってしまえば数字では推し量れないことが山ほどあって。
そんな風に推し量れない何かを目標に掲げ、「もっともっと頑張らなきゃ」と走り続けていたら、社会人になって数年が経ったとき、仕事の忙しさが激しさを増したころに体調を崩してしまい、数週間会社をお休みすることになってしまいました。
いったい自分は何を目指しているんだろう?どこまでいったら自分に花丸をあげられるんだろう?って立ち止まって考えてみて初めて
自分の考える「完璧」って根拠のない自分の幻想でしかなくて、その幻想に囚われて「自分はまだまだだ」「もっともっと頑張らないと」と過剰な自己反省会を繰り広げ、自己肯定感を自ら下げに行っていたことに気が付きました。
「完璧」なんて存在しない
そもそも完璧な人なんて存在しないですよね。
どんなに優しい人だって、どんなに仕事のできる人だって、どんなに友達が沢山いる人だって、何かしら苦手なことや、できないことはあります。
憧れてる先輩だって、尊敬している友達だって、見えないところで悩んだり躓いたりしていただろうし、きっと不得意なことはあるんです。
不完全だからこそ、面白くて
不完全だからこそ、いとおしい。
みんながみんな完璧だったらこの世は味気なくてつまんなくて、単調になってしまうと思います。
でも、そんなことには目もむけず、ただひたすら完璧を目指して、できないこと、苦手なことは「ダメなこと」として排除しなければならない対象だと自分を厳しく追い込んでいました。
嫌いな自分もただそこにあるだけ
得意なところも、自分の好きなところも、苦手なことも、自分の嫌いなところも、良い悪いじゃなくて、ただそこに存在するものとして受け入れる。
ジャッジするんじゃなくて、ただただ、そこにあるものとして受け入れる。
これがなかなか難しいのだけれど、それでも時間をかけて少しずつだけど、だんだんとできるようになってきました。
俯瞰して自分を見ることで、嫌いな自分に対して「あーもうやだ消えたい」「なんで自分はこんなんなんだろう」って負の感情に振り回されるのではなく、
「これはどうしても苦手だから、なるべくこういう環境に身を置くことはやめよう」
「これは苦手だけど、克服したい。少しずつ考え方や行動を変えてみよう」
など、嫌いな自分に対しても冷静に向き合えるようになってきたと思います。
完璧主義をやめたら生きやすくなった
自分の中から「完璧」を取り外すのは、簡単なことではなかったけれど、少しずつ「~でなきゃいけない」という考え方をしないように意識して、少しずつ少しずつ「完璧」の枠を外していったら、気づけば心も頭も軽やかに生きられるようになっていました。
人と比べて焦ったり、見えない何かに遠慮したり、根拠のない基準に到達できない自分に失望したり。
20代は楽しかったけれど、振り返ると「完璧」が自分をがんじがらめにしてしんどくなることも多かったなあ、と思います。
「完璧」の枠が外せた今、これからも沢山の変化や荒波があると思うけれど、心から大切にしたいことを主軸に、軽やかに柔軟に生きていきたいなと思います。
完璧主義で、もし今、辛くなっている人がいたらぜひ参考にしてみてもらえたら嬉しいなと思います。
それでは今日はこの辺で。
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