悔いなく生きるとは?
『自分は悔いなく生きて来れたのか?』
よく自問自答する言葉。最近は特によく考える。40歳という節目の年だからか、人生を振り返る。
答えは
『YES』
だ。
なぜはっきりとそれが言えるのか?
それは
『毎日全力で生きてきたから』
である。
地位とか権力とか、成功したかどうかとか。そんな事はどうでも良いような気がして来た。
自分が満足出来る生き方だったのか?大切な事だと思っていたけど、必ずしも、100%思い通りに満足出来る生き方は出来まいと。完璧な人生はないかも知れないが、その人が完璧と思えば『完璧』も成立し得るのかも知れない。
『悔いなく生きて来れたか?』についても、本質は『悔い』ではないように思う。どう生きようと残そうと思えば悔いは残るものだ、と考えた。
そうなるとあとはシンプルに、
『懸命に生きて来れたのか?』
これを振り返り考えれば良いんじゃないかな、と。自分に照らし合わせてみると、自分で言うのも何だけど一生懸命生きてきたと思っている。
何となくパッとしないような人生も、全力で生きてきたと考えれば過去は全て『輝かしい』ように感じる。
『全力で生きる事が輝きを生み出す』
「自分だけなんでこんなに苦しい思いをしてるのか?」と常々思うのだけれど、これは『隣の芝生は青い』状態なんだな、と我に返る時もある。
割合、重い苦しみを抱えてる人は多いと感じる。『重み』は測れないけれど、物理的に或いは精神的に重みを感じている人は多くいるな、と。ふと周りを見渡せばそんな感じだった。
他人からみたら軽い事かも知れないけれど、その人が重いと言えばそれは重い苦しみなのだ。
苦しいのは本当に辛いのだけれど、『苦しみを感じる程懸命に戦っている』とも捉えられる。この場合よく起こりがちなのが、
『頑張り過ぎている事に気付いていない』
ということだ。頑張っているのに「頑張りが足りない」と考え始めてしまう。
『間違った頑張り』
そう呼ばれてしまう事もある。でも、頑張った事は事実だから。あなたのその時のその頑張りは無駄ではない。その時正しいと思う努力であればそれで良い。それが正しいのではないか、と思う。
『間違った頑張り』と発見した人は、その人自身の体験だったら間違った頑張りを辿って来てるでしょ?と、私は考える。
だから、周りに揶揄されようとも、そう感じようとも、あなたはあなたの道を進めば良い。そう思う。
『あなたの全力はエネルギーとなり、
そして輝いていく』
どんなかたちでも、懸命に。全力で生きよう。
それが悔いなき人生へと繋げるように。
おわり