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毒親とHSPのこと(ちょっと真面目に書いてみる)

「毒親」という言葉が一般的になってだいぶ経つ。

初めてこの言葉を聞いたとき、ひとりで「戦って」来ていたのに結構「同志」がいたんだな、と苦笑いしたのを思い出す。

自慢じゃないが、共感などされたことがないどころか、味方にもなってもらったことも一切ないし、何なら体罰や八つ当たりもあった。そして母は全部覚えていなかった。

違う家庭に育って、私の実家を見ている旦那に聞くと「組み合わせもあるかなあ」とのこと。それはそうだろうなあ。多分私は程度は軽いものの所謂HSPだったんだと思う。(今は多分当てはまらない)

HSPという繊細な人たち、私はある種の「ニュータイプ」なのではないんだろうか?と思っている。
差し迫った身の危険がなくて、食うに困らない世の中に於いて、人と人との関係を細やかに感じ取れる新しい「機能」を搭載した「新しい人たち」なのではないかと。
残念ながらまだ長い過渡期なので、オールドタイプも多いし、せっかく新機能を搭載していても上手く使えずつらい思いばかりしてヤサグレテしまった人たちもいるだろうと思う。せっかくの新機能なので(諸刃の剣だということは充分理解しているが)自分を生かす方向で使いこなせるといいねと思う。

さて「毒親」。
一番受け入れてもらう必要がある0~10歳くらいの間に、ちゃんと共感されて育たないと、自分で自分の取り扱いが分からず迷走してしまうことはしばしば起きるだろう。私もだいぶ格闘した。でもいろいろやってきてハタと気が付いたら、コトはシンプルだったようだ。
要は、INPUTしていないものは「知らない」のでOUTPUTできない、のだ。
同時に、嬉しくない言葉や体験(罵倒されたり嫌味を言われたり等)はINPUTされ録音録画されているので、ここぞというタイミングで脳内再生されたり身体感覚で追体験するのだ。
全然共感されたことがなければ他者に共感はできないし、誰かに味方になってもらったことがなければやっぱりよくわからない。INPUTされた嫌なものだけがくっきりと自分に残っている。

じゃあどうするか?
幸せに穏やかに暮らすことを諦める?いやいや全然あきらめる必要はない。

まずは自分で自分に「よい体験をINPUTしてあげる」のを繰り返していけばよいのだ。イメージとしては自分の中に辛い思いをしてきた小さい子がいるので、その子を大事に大事に育ててあげる感じで繰り返せばOK。

ちっとも幸せじゃない!生きていてもいいことなんてない。と考えてしまう人にはお勧めしたい方法だ。手間はかかるけど、幸せに穏やかに自分を好きでいられる人生は、望めば手に入るよ、と経験者は語っておきたい。

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美樹
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