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「見てほしかった」

なぜ頑張るのか?
なぜナチュラルに
自分の状態を見ながら
「仕事」の調整が出来ず
自分に無理をさせがちになるのか?

ひとつの応えが
「自分の中の『親』とどういう関係でいるか?」なのではないかと思う。
頑張ることを強制されたり
正当な承認を受けられなかったり

人と人なので
ボタンの掛け違いみたいなことは
よく起きていて
結果、実は誤解のような形になっていることも
多いように思う

「『良くやった』と言われたかった。私を『見て』ほしかった。」

それに気が付き
彼女は涙を落とす

それを渇望していた、と
自分で気が付くのが半分
その穴をどう埋めるか、が半分
現実にそれを打破するもあり
一旦最良のシーンをイメージすることで
落ち着くこともあり

これからのために
どうするか?
それも自分と相談して
決められたらいいね。


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美樹
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