123天文台通りの下町翁 雑記帳 奈倉 有里 著「夕暮れに夜明けの歌を~文学を探しにロシアに行く~」
気鋭のロシア文学翻訳家のペテルブルグ、モスクワ留学時代の濃密に文学、詩、教師、学生たちにどっぷりと浸った日々がつづられている。なんとも貧しくとも、濃密でみずみずしい学生生活だったかが浮かびあがる。
たった一人の東洋からの留学生としての経験が細部に渡り、書き留められている。きめ細やかな心模様、そして何よりもロシア文学や関連する資料を浴びている様子と情熱が全編に貫かれている。奈倉有里は、ロシア文学を読み込み、心に染み込ませ、発信するための申し子だと言って差し支えないだろう。
授業中、これはと思う教授の一言一句は漏らすまいという勢いで速記術を身につけ、後から、ノートを読み返すだけで、先生たちが目の前に立ち出るかのごとくまでになる。
終盤、ロシアのクリミア半島、そしてウクライナへの干渉、侵攻にいたる現在についての想いも、留学時代のさまざまな出身地の学生たち、教師たちとの交流があったからこその深い洞察に基づいたものなので、専門家たちによる大所からの分析などより、地に足が着いた信頼しうるものとして読める確かさがある。
弟君の作家・逢坂冬馬(「同志少女よ敵を撃て」作者)氏と彼女、姉弟が壇上にあってのトークを聴く機会があったが、二人とも、ウソが真実を凌駕するような混沌とした世間にあって、しっかりとした足場をもった才能と信念を感じさせる存在だと実感したが、それは、今回の濃厚なエッセイを読んで、さらに確信となった。
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