自己肯定感の低すぎる中年
世の中、色んな人がいます。
自己肯定感の高い人、低い人
自己評価の高い人、低い人
自己評価だけ高くて実際は何もできない人
自己評価だけ低くて実際は何でもできる人
などなど。
十人十色、千差万別ではございますが、今回はその中でも「自己肯定感」が低すぎる人に正直イラっとした話を。
まず前提として、この人を仮に「Aさん」としましょう。
Aさんは以下の様に
・自己肯定感が基本低い(自分なんて・・・と良く言う)
・業務における能力はすごく高い(一線級の方)
・コミュニケーション能力は低い(余計な一言が多い)
・よく知ったかぶりをする(見栄っ張り)
という要素を備えています。
これらを踏まえた上で長年付き合いを続けてきましたが、最近正直関係を考え直そうかと思うようになりました。
ある日の事。
いつも友人が集まる場所に、Aさんを含めたフレンズのBさんCさんがおりました。
私も少し遅れてその場に合流したのですが、何か妙な空気が漂っています。
一体何事だろうかと話を聞いてみると、Aさんの自己肯定感の低さが全面に出ていて正直「またかー」と思いましたとも。慣れたものです。
友人のBさん&CさんはAさんの自己肯定感を上げて落ち着かせようと、Aさんがいかに業界内での高いスキルとシェアを有しているかを、丁寧に丁寧に・・・ホント良い歳した大人がここまで優しく言われないとわからないか?と思うくらい丁寧に説明していたのですが、結果として「実感が伴わない」という言葉だけでB&Cさんの説明を突き放していました。
正直、この時点でもうAさんと関わるの止めようかなとは思ったのですが、それでも長年付き合ってきた間柄。
少々厳しい言葉になるけど、実感を伴いたいならば「何をすべきか、何をしてきたか」について問うていきました。
結論として、Aさんは「実感を伴う為にやるべき事をなにもやっていない」というのが私とBさんCさんの出した答えでした。
何を提案しても、とにかく
「忙しい」「時間がない」「余裕がない」「でも」「だって」
の繰り返しです。腹立たしい。
それでも、この話を何処かには着地させねばなるまいよ!と、更に言葉を尽くして掘り出していくと、Aさんから一つの本音が漏れ出てきました。
「凄いと思うなら周囲から自分に寄って来てほしい」
私がAさんと距離を置こう思ったのは、この一言が決定的でした。
つまりAさんにとって私達は「寄ってきた人」の枠なんだろうなと感じてしまったからです。蚊じゃあるまいし。
確かにすごい人です。
長年業界の一線で戦い続け、今なお技術を吸収している方です。
お仕事において。そう、お仕事において「だけ」は尊敬できる方なのです。
ですが社会で生きて行く上で「だけ」では足りないのも現実。
私にも自分の人生があり、時間は有限です。
自己肯定感の低さと承認欲求を周囲のせいにする中年にこれ以上付き合ってられるほど聖人君主ではありません。
20代~30代の社会経験値上昇中の人ならば、まだ若さ故の事だと見守る事も出来たでしょうが、相応の年月を経た大人が「何度目かの説得」で出てきた言葉が”それ”だったのですから。
タイトルをひっくり返してしまう事になりますが。
×自己肯定感の低すぎる中年
〇自己肯定感の高すぎる中年
というのがAさんの本質なんだなと。
皆さんの周りにも「私なんて・・・」といった自己否定を「何度も周囲に繰り返し話している人」が居ましたら、一度その方の本音を聞き出してみてください。
案外「自分は凄いのに凄いと言ってもらえない社会が悪い」
とか考えている、自堕落な承認欲求の怪物かもしれませんよ。
かしこ