いつの間にか「先生」中編の下
前回中編を書いてから
随分と時間が経ってしまった
どこまで書いたっけな…
なんちゃってせんせい誕生までだ。
先生と呼ばれるようになって
悩みっぱなし時代に突入した。
子供達と混ざり練習していたのが、先生補助として声をかけたり元立ちをするようになった。自分に自信も無いし、私が声をかけられる事は基本中の基本だけだった。元立ちをしていても私に分かるのは 真っ直ぐ打って来ているか、声を出せているか、左手で打ってるか、手と足声がバラバラになってないか、それくらいの事。
子供達も分かっていて厳しい先生達の後、ちょっと休憩したい子供達が私の所にえへへって笑みを浮かべながら並びに来ていた。
そんな中、末娘はガチだった。末っ子は小学3〜4年くらいだったと思う。その頃練習後にアレコレ言うと「知ってる。分かってる」とブスッとしていた。
多くの保護者通る道「剣道反抗期あるある」だ。
この状況マズイよな。まずは私が勉強しないと。先生もね、いくら補助と言ってもね、いい加減な事言えない。上手だなと思う子、どこかが違うぞって思う子の何が違うか一生懸命観察した。指導される先生の姿や言葉を一生懸命聞き観察した。
段々と色んな事が見えるようになった。
自分が(あの子あそこ直したらな…)って感じたことを
有段者の先生方が同じ事を注意する。
合ってた…間違って無かった!
と心の中でガッツポーズ
そう言う事が積み重なって
ちょっとずつ自信が付いたりした。
末娘には先にアレコレ言うのをやめた。
その日先生に言われた事を聞いて
「そうだね、もう少しこうだったね」
と話をした。
ある日、私が先に
「あそここうだったね。
こうしたらもっと良さそうだったよ」
と言ってしまった
(しまった…)
先生には何言われた?
(と慌てて取り繕う)
ママと同じ事…
徐々に末娘の反抗は影を潜めた。稽古から夜遅く帰宅し時短の為に2人でお風呂に入った。その日の稽古の事、学校の事色んな事を話した。中学生になるまで続いたこの時間は、私にとって大事な時間だったな。末娘は事今高3、この時間の事覚えてるかなぁ。
稽古が出来ない空気がそこにあった
私自身の稽古は…
なんちゃって先生誕生と共に
徐々にやらなくなった。
当時のクラブは大人初心者の入部は無かった。
ほぼ初心者の大人は私1人。大会に勝つ事を目標にする中学生の稽古に混ざるのは邪魔じゃ無いかと感じていた。
一部のお母さん達が私の事何か言ってるんだろうなって雰囲気…空気も薄々感じていた。
クラブの先生は
稽古に混ざったら?1級挑戦して段もとれるよ。
って言ってくれていたが。
大人初心者が稽古に入れる雰囲気が
当時のクラブは無かったと思う。
そしてこの頃から仕事が忙しくなり
家の事も大忙しだったのに
なんとなく入りにくい空気の中
頑張って稽古するのは
体力的にも気持ち的にも無理だった。
稽古に行くって大仕事
末娘が5年生になった頃、稽古が週3〜4日に加え塾の送迎。夕方仕事から帰ると猛ダッシュで家の事をする。自転車に防具を乗せ、自分と娘2人分の竹刀を担ぎ塾が終わる時間に合わせて教室の前で待機、そこから道場へ向かう日もあった。
高学年になると稽古時間は小学生練習後の中学一般の部まで延長。9:50頃帰宅しお風呂。私とダンナさん2人はその後夕飯を食べる。長男長女の話を帰宅後聞いたり、学校からの連絡に目を通し。そして色々な事情で保護した5匹の猫達の世話。
寝るのは13:00って事がしょっちゅうだった。
多くのお仕事するお母さん方が子供を習い事に送迎する為、そんな時間を過ごしてるんじゃないだろうかと思う。「私何してんのかな」って思ったら最後「剣道の稽古に行く」って考えだけで突っ走ってたな。
ダンナさんも突っ走るのに巻き込まれてた。
稽古の送迎に協力してくれた。
免許を持たない私にとっては
防具に竹刀、道着と袴
荷物の多い剣道は通うのが手軽じゃない。
自転車で行く時は前に後ろに荷物を乗せ
竹刀を担ぎ末娘の自転車走行にも気を配り
大仕事だった。
稽古の日はダンナさんと
早く帰れるか、帰りは迎え行けるとか
携帯でやり取り。
仕事調整してくれてたんだろうな。
稽古中は車で待っててくれ
帰宅後も家の事手伝ってくれた。
同じマンションに住み同じクラブに通うママ友にもお世話になった。少し離れた所に住んでいるのに迎えに行ってあげるよ!って言ってくれるママさんもいた。ダンナさんが仕事が多忙になった時はママ友さんに連れて行ってもらう事も多かった。
本当に色んな人の力を借りて稽古に通えた。
きっとウチも乗せて行く事で剣道の稽古の日は
バタバタしたんじゃないかなと思う。
迷惑いっぱいかけただろうな。
本当に感謝しかない。
振り返れば末娘小学高学年の時は
ホントに剣道ばっかりだった。
稽古に行けるよう必死だったんだと改めて思う。
末娘が中学になり通う事の負担が軽減した。
剣道部に入部、クラブも継続した。
クラブの稽古場所は中学の道場を借りている。
剣道部の部室もそこにある。
防具も竹刀も部室に置けるようになった。
もう
大荷物じゃないw
末娘は友達と自転車でクラブの稽古に身軽で
行けるようになった。
さて母は…
なんちゃって先生卒業?
なのか…どうしたら?どうなのかしらん?
と思っていた時
〇〇さん
〇〇ちゃんは中学生になるけど
良かったら小学生の方見に来てくれる?
時間ある時で大丈夫だから
クラブの先生からのお言葉
自分の稽古は全然してないけど
子供達の姿を見ていたいなと思ってた。
なんちゃって先生続投となった
あっちへこっちへ脱線気味の文章
最後までお読み頂き
ありがとうございます
次はいつ書けるかな(汗)
現在に追いつくのは…
いつ?!
余談です
末娘は防具を着けるようになって直ぐ
憧れの赤胴を手に入れ
やる気満々になった!
末娘は小学生中学年頃から
白い道着に白い袴姿になった!
母、中学時代の
ちょっと話しかけにくかったあの子と
あの同級生と同じ姿に。
同級生の白い袴白い道着姿を見た時
剣道をずっとやってないと着られぬよぅ
って感じたあの白いヤツ。
末娘は
カッコ良いね似合うね
みんなに褒められて
嬉しそうだった。
中学時代剣道部で
白い袴白い道着の同級生に
ビクビクしてた私に教えたい
我が子が白い袴白い道着
の出立ちになるよ!ってw
人生って不思議よねーw
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