先日書いたこの記事の真相はこれだ‼️ 「ある行旅死亡人の物語」推理探偵・みけ子の考察/前編
先日記事↑にしたノンフィクション本。あまりに不可解すぎて読後も頭の中から疑問符が全く消えずにいた。2020年4月に身元不明の老女の孤独死遺体が発見される。賃貸のアパートに40年近く住んでいたのにも関わらず、近所でも大家も彼女をことを詳しく知る人は皆無。風呂なしの粗末な安アパート住まいなのに、彼女の自宅には3400万円もの大金が残されていた。警察や弁護士、探偵が調べたのに本籍地がわからず住民票さえない。通帳の名前から「田中千津子」と言う通称は判明したが、どこの出自の誰なのか血筋のつながった係累はいるのか、全く分からない。これは一体どう言うことなのか?
彼女の身元を明かすため、共同通信社の2人の記者が彼女の身辺を丹念に追う。警察でさえつかめなかった身元が、2人の執念の取材によって判明する。しかし身元は分かったものの、肝心のその老女がなぜ周囲とも親戚とのつながりも絶って孤独に生きて来たのか。その辺りの事実が全く分からないのだ。
この本を読んだ後、みけ子は頭をハックされた状態になってしまい、寝ながらそして仕事に向かう途中の自転車車上でも、民泊清掃途中でも考え続けた。余りにもインパクトが大き過ぎてそれ以外の事が考えられなかった、と言った方がよい。
そんな状態でまる1日経ってから「もしかしたら、事の真相はこうじゃないか?」という想像にたどり着いた。これはあくまで、みけ子の一つの考察に過ぎない。だけど他に納得の行くようなことも思いつかないので、「当たらずとも遠からず」ってあたりじゃないか?と自分では考えている。
結論から言うとこの事件は、
「身元不明の老女・田中(沖宗)千津子は
北朝鮮工作員の女」だった❗️
そして後に千津子本人も工作員となった❗️
……ってあたりが真相じゃないか?相続財産管理人の太田弁護士の説とほぼ被るが。
そう考えた理由とそれに想像で肉付けした、田中千津子さんの不可解な行動などを書いてみた。遺留品や周辺の人のわずかな証言を元にした「創作色」の強い内容だ。かなり長文になってしまったので、前後編に分けさせていただいた。
わずかな遺留品の中にあった、星のマークを刻んだロケットペンダントとその中に残されていた、謎の数字。そして韓国の1000ウォン紙幣。この遺留品や写真から北朝鮮との繋がりが想像されたが、関係者への取材でそれは否定された。しかし、それも北朝鮮の政治的事情に詳しい一個人の意見であるし、それが絶対とは言い切れない。星を刻んだロケットペンダントのデザインが北朝鮮関連の何かのマークとしては見慣れないものだったとしても、証言をした人の意見が全てではないだろう。一人の関係者の証言だけで、北朝鮮ラインを否定するのは違うのでは?と思った。
賃貸借契約書に名前があった、田中竜次。この名前はもちろん仮名であり、在日で朝鮮籍のあった人間と想像する。北朝鮮の工作員かそれに近い関係者。
田中/沖宗(おきむね)千津子さん(2020年4月に身元不明の孤独死遺体として発見された老女。以下敬称略)は、大阪で働いていた30歳代前半のある日、ふとしたことで田中竜次と知り合う。田中は、北朝鮮関係者として身バレしないように細心の注意を払いながら、自分の協力者を探していた。若い女性で独身。一人暮らし。故郷から離れて都会に出て、近くには親戚は居ない人。口がかたくしっかりした人間で真面目。狙いを定めて田中は沖宗千津子に近づく。
言葉巧みに距離を詰め、慎重に千津子と恋愛関係になる。そして結婚をちらつかせて深い仲になってしばらく経った頃、部分的に自分の身分を明かす。自分は北朝鮮の国家的な使命をうけて動く人間であると。自分の正義感に満ちた使命を熱く語る田中に、千津子は魅了されたのだろう。田中の言い分を信じて、田中に協力する事を誓う。
それで田中は「自分の国家的使命を果たすため、君には申し訳ないが、今後は内縁の夫婦として自分が用意するアパートに住んで欲しい。賃貸借契約は私がする。経済的な事もしっかり面倒を見るから安心して欲しい。君のことは愛している」などと言葉巧みに言いくるめ地縁のない、尼崎のアパートに引越しさせる。
秘密保持のため、親類や友人との連絡はしばらく絶って欲しいこと、周囲の人間関係に気をつけ特定の親しい友人関係を作らないことを約束させる。賃貸借契約は個人の小さな不動産屋を選んで金を積み、以前住んでいた住所はおろか、住民票も提出せず生年月日さえ記載しないで無理やり通させる。目の前に現金を積まれたら、個人の小さな不動産屋を丸め込むのなど朝飯前だろう。
こうして尼崎にアパートを借りて住む事になった千津子は、田中との連絡のために電話も引いたが履歴を残さないために、自分からはどこへも発信しない。田中からの連絡は午前中に着電する事になっており、その会話を近所の人に聞かれないように午前中に洗濯機を回した。
身分のカムフラージュのために小さな缶詰製造工場で働き始める。田中に言い含められた言いつけは真面目にキチンと守った。苗字は引越した時から田中千津子を名乗った。郵便物は溜め込まず、見たら直ぐに処分すること。出来るだけ近所では買い物せず、少し離れた場所で買い物し、利用する店は頻繁に変えること。広島出身で被爆者の対象にないよう、勤め先でも生年を偽わり12歳も若く年齢を言って戦後生まれとしていたこと。個人経営の工場にアルバイトとして勤めるのに、年齢を偽るのなどは容易い事だろう。
田中とは頻繁に外で会って連絡を欠かせなかったし、そのための十分な生活費も受け取っていた。工場勤めの月給でも生活できたが、その上に田中から毎月の生活費が手渡される。受け取った金を千津子を中継地点として他の工作員に渡したり、連絡の中継役を忠実にこなした。残されていた大金は国家的密命を果たすのに、万が一のためにまとまった金額が千津子に預けられていたもの。そして残りの一部は尼崎に転居して来た時に田中から受け取っていた生活費の一部……かも知れない。
大金の存在と毎月手渡される生活費。千津子は経済的に苦労する事もなく暮らし、時には名前を偽って田中と温泉や寺社仏閣詣への小旅行もした。田中のことは心底信じ、愛していたから疑いもしなかったし、言い含められた事を破ったりするなども考えられなかった。
二人で一緒に写真に写ることは極力避ける。写った写真も注意深く処分した。常には共に生活していない、内縁の夫との寂しさを埋めるため「たなか たんくん」と名付けた、犬のぬいぐるみを愛玩しながら。本当ならば普通の夫婦として子どもも持ちたかったが、それはこの生活では望めない。昔会ったっきりの甥や姪の写真を懐かしく眺めるのみだった。
……後編↓に続きます。