「学生運動の時代に生きてなくて良かった」と思う自分
学生運動が盛んだった頃に青春時代を過ごしてなくて本当に良かった、と思っている。
みけ子は過去の事件や事故、世の中に大きな影響を与えた物事について文献を読んだり、動画を見たりすることが好きだ。事件事故がなぜ起こったのか。どうして多くの死傷者が出てしまったのか。一つの事件や事故には多くの要因があり、それらが重なり合い複雑に絡み合って発生する。
人がどんな経緯で行き違いやミスを犯し、死傷者が大量に発生するような大事件や事故に至ってしまうのか。そんな事例をたくさん見聞きすることに興味が尽きないのだ。小説のように作られたフィクションではなく、事実として起こったということの重さが一層こちらの心を打つ。
そんな自分が「この事件があった時代に当事者になってなくて良かった」と心から思う事件がある。学生運動がピークだった頃に起きた「山岳ベース事件」だ。この山岳ベース事件の生き残りが「あさま山荘事件」を起こしている。あさま山荘事件がTVで大々的に生中継されていたのを、小学生だった自分は見ている。
理想と熱い気持ちを持った若者たちが、間違った正義感で仲間をリンチして多数殺してしまった事件だ。理想をいくら持っていたとしても、その考えに凝り固まって、その理想に沿わない仲間をリンチで制裁したり傷つけたりが良い訳がない。
若いってそういうことだ。気持ちがどんどん突っ走って、視野が狭くなり自分たちが持っている理想が唯一正しいと思い込んでしまう。若さはそんな危うさも孕んでいる。
頭でばかり考えて、体感が伴わないからか?
経験の少なさが「これで本当に良いのか?」という逡巡をする間を与えないのかも知れない。一つのことだけを突き詰める情熱といえば聞こえはいいが、思い込みで他を排除することの危険さ。周囲を見渡して冷静になることは必要だ。
ここ最近、連合赤軍の重信房子元受刑者が刑期を終えて出所したというニュースを耳にした。この人、数々の無差別テロ事件の首謀者で、巻き込まれた亡くなった人は多数にのぼる。社会的影響も多大だった。
その重信元受刑者が出所してから「自分の考えは間違っていた」と今更ながら会見で話していたが、事件で死亡した人は二度と帰って来ない。時間が経って過去の自分と向き合い考えを改めたことは良いが、それで事が全て終わった事なのか、というとそうでは無いだろう。
過去と他人は変えられない、とよく言われる。確かにそうだ。人間だから間違える。間違いを犯さない人などいない。そして自分という人間を振り返り「もしこの場に自分が居たら?」と思うと恐ろしくなる。
自分はちゃんと状況と周囲を見回して、「これは明らかに間違っている、やってはいけない」と判断出来たかどうか。感情やその場の状況に流されて自分が加害者にならなかったとはとてもじゃないが断言できない。恐ろしい。
結局、その場で間違った行動に出てしまわないために出来ることは「経験や見聞を積むこと」なのか?そういう流れの中で冷静になる事の難しさ。若いという経験の少ない未熟な状態でその危うい状況を回避できるかというと、なんとも心許ない。
その時代に生きて実際にその時代の空気を感じないと、一概に「思想的に暴走した若者たちが過ちを犯した事件」と簡単に片付けたりは出来ない難しさはあると思う。
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