イヤな事や向き合いたくない事に対峙しようと言う気持ち。でもそれが大事なのかな
人は誰だって思い出したくない過去や、恥ずかしくて消してしまいたいと思う出来事はあると思う。人間だからね、そんなの当たり前。
↑これ流行ったの何年前?結構好きだった。
みけ子に関して言えば、市民活動に携わっていた頃のアレコレ。
収益不動産を入手した前後の、リフォームを担当してくれた業者さんとのやり取り。
あとは、自分自身があまりにも未熟で、言う事を聞いてくれない自分の幼い子どもたちとの事。
全然優しく出来なかった、要介護の両親との関係。
それから、自分にはどうしてもすんなり理解出来ず、アレルギーと言う程考えたくなかった、家計やお金の事。
あ〜あ〜もう頭抱えちゃうよね💦
ここnoteで毎日書いている記事。読み返してみても、大した内容ではない。ネタ切れで記事が途切れる危機にも何度か瀕した。でもなぜか自分の内側から「取り敢えずある程度のボリュームになるまで、毎日の記事アップを止めてはいけない❗️」という強い気持ちが湧いて来ていた。その自分の内なる声に従い、みけ子は毎日記事アップに励んでいた訳だ。
ネタ切れの危機があって、思い出したくない恥ずかしく消してしまいたい過去の出来事にもスポットを当てざるを得なかった。
でもきっとそれが良かった。結果的に自分の内面と向き合うことにつながった。みけ子が考える事などたかが知れている。だけど、たかが知れている浅い思考でもやらないよりはマシだ。考えが浅いなりに、拙い言葉で過去の出来事を思い出して書く。
本当はイヤなのよ。やりたくないのよ。
でもその状態を乗り越えなければ、きっと次の自分はない。ただの頑固で自分の考えに凝り固まった、老害を撒き散らすBBAで一生を終えるしかない。嫌われて疎まれ、孤独のうちに生涯を終える老人……なんてイヤだよ〜○| ̄|_
元々そんなに頭も良くないし、だけどそんな自分をどうしたら良いんだ?!
……と思った時にたどり着いた答えの一つ。これだけが唯一の正解とは思っていない。だけど常に書きながら自分の事として考える事。
それがものすごく大切なんだと思えるんだよね。
↓軽くて扱いやすい、切子の模様が施されたガラスコップです。日常使いやちょっとした来客にも。