ナダールと19世紀パリ#19/気球に魅せられて
たった一回の飛行でナダールは気球に魅せられた。帰宅すると若い妻エルネスティンに熱く空の事を語った。
「写真を撮るんだ。誰も見たことのないパリの風景を俺が撮るんだ!」
妻エルネスティンはそんな夫の話を小さく首を傾げながら聞いていた。彼の膝の上には幼い長男ポールが居た。いつも新しいものに出会うと大騒ぎする夫である。エルネスティンは、夫の見つけた新しい玩具に賛成も反対もしなかった。ナダールがそんな妻の様子を気にするはずもなく、滔々と気球のことをしゃべり続けた。
「ユージン・ゴダールEugene Godardという男だ。凄い奴だ。俺は明日あいつに会いに行ってくる。」
ユージン・ゴダールEugene Godardはパリ生まれの建築家だった。ルイと言う弟がいた。
1845年、二人は当時流行し始めていたガス気球の打ち上げを見た。二人は気球に夢中になった。空駆ける夢は人類の果てしない夢である。ゴダール兄弟は小さなガス気球の打ち上げに未来を見たのだ。
さっさく二人は共同で気球製作の会社を立ち上げた。一年ほど無人の気球を設計製造実験を重ねて、1847年10月17日に有人二人乗りの気球を発表している。その2年後二人はボルドーで英国のチャールズ・グリーンが開発した水素ガスを詰めた気球に同乗し、これを真似て4人乗りの気球を製作している。しかしこの気球は何回かの航行後、着陸時に火災を起こし、二人は九死に一生を得た。
その後ゴダール兄弟は、アンリ・ギファードの熱気球に出会う。これが彼らの作る気球のスタンダードになった。1858年にナダールが出会ったゴダール兄弟の気球はそれだった。
1859年、オーストリアとオーストリアの戦争が勃発すると、ゴダールはナポレオン3世に彼の気球を提供している。フランス軍は空中偵察用に彼の気球をしたのだ。ナポレオン三世はゴダール兄弟に「皇帝の飛行士」という称号を授与している。
ゴダール兄弟に触発されたナダールは、サンラザールの写真アトリエを放り出して、気球作りに没頭した。アトリエを守ったのは妻エルネスティンとまだ少年のポールそして助手たちだった。何度もの失敗を重ね、幾つかの成功を得て、自信を持ったナダールはより大きな気球の製作をしたいと考えた。
「気球の取り付けた空飛ぶ家をつくるんだ!」
彼は胸を張って妻エルネスティンに言った。エルネスティンは黙って微笑みながらナダールの話を聞いていた。
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました