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黒海の記憶#21/ポントスの血

少しずつ黒海の制海権を失っていった古代ギリシャだったが、その血縁は無数に残った。500年という時間は長い。
なかでも最も色濃くギリシャ人の血が残った「ポントス王国」の話をしようと思う。
でもその前にどうしても触れたいことがある・・遠い昔のツワモノどもの夢のあとではない。100年ほど前にあった民族大虐殺の話だ。色濃くポントス人の血を残す人々が生きた町カヤキョイのことである。今は廃墟となっている石造りの町Livissi/Kayaköyの話を少ししたい。

カヤキョイは古い町だ。始まりはBC400年ころ。トルコ南西部地中海から少し奥まったところに有る。古名はカルミラソスKarmillissos。20世紀初頭まではこの名前で呼ばれていた。
訪ねるには、まずイスタンブルから南へ一時間ほどの空路でダマラン空港へ向かわなければならない。ダマランの街からはクルマだ。陸路(D400)60kmくらい。すぐ傍にあるオルデニズÖlüdenizは、Blue Lagoonとも呼ばれ、目を見張るほど美しいリゾートビーチだ。そのほど近い荒涼とした丘の斜面に廃墟の村カヤキョイはある。Blue Lagoonは有名だがカヤキョイを訪ねる人は少ない。
フェティエFethiyeに近い。フェティエからカヤキョイへはドルムシュ(ミニバス)がある。僕が訪ねたのは2005年の夏だ。クライアントとのセッティングがキプロスにあって、それに乗じて訪ねた旅である。トルコリラ(TRY)デノミの直後だったことを記憶している。トルコはインフレでその経済は急降下し始めていた。ホテルはスタッフがオルデニズに取った。2泊だけ。カヤキョイを見たら翌日はキプロスへ戻るというスケジュールだった。ダマラン空港へ迎えに来てくれたドライバーがガイド兼で3日間、同行してくれるというプランだった。いつものようにカメラと数冊の本と少しの着替えだけを持つ小旅行だ。

ドライバーの青年は驚いたことに、みごとな日本語を話した。聞いてみるとエルジェス大学で講師をしているとのこと。
「大阪で学生時代を過ごしました」と言っていた。
「でもきれいな東京語ですね」と僕が言うと
「大学では日本文学を教えています」と言った「でも教室ではアニメの話ばかりしてます」といって笑った。
STAND ALONE COMPLEXのことを僕が言ったら彼がびっくりしていた。なので空港からホテルまでは日本アニメのドラマトゥルギー話に終始した。・・それでその日の夜。彼もウチのスタッフが同じホテルに部屋を取ったので、夕食を一緒することになった。
「イスタンブルの旅行代理店に僕の兄が働いています。彼からカヤキョイへ案内できるドライバーを探している方がいるという話が来たんです。いわゆるガイドではなく、きちんとカヤキョイの話ができる人を探しているということでした。彼が私しかいないと思って、すぐに連絡してきたんです」

彼が務めているエルジェス大学はカイセリにある。トルコ中央部だ。迎えに来てくれた車は彼個人のものだった。ダマランまでは陸路で12時間くらいはかかるはずだ。
「わざわざ来てくれたの?それは申し訳なかった」と僕がいうと、彼が肩をすくめた。
「日本から、仕事の合間を縫ってカヤキョイへ行かれる方がいると聞いたら、来るしかないですよ」
「ありがとう」
「いえいえ、カヤキョイは父母の生まれた町なんです。祖母も祖父も母方/父方ともカヤキョイの人間です。我々家族はアテネに暮らしたんですが、じぃちゃんもばぁちゃんも・・ずっとカヤキョイの町のことを話していました。」
僕はびっくりした。まさか、ポントスの血の裔に、それもカヤキョイを案内してもらえるなんて!! シンガポールにいるウチのスタッフの得意満面な顔が思い浮かんだ。・・なにか土産の一つでも買って帰らなきゃならん・・そう思った。
「・・帰りたい、と?」僕がいうと彼が小さく微笑んだ。
「僕も兄も大学はこちらの大学を選びました。結局アテネは僕らの街ではない・・と思ったからなんです。僕らの血はポントスの血です。ギリシャ人になりきることはできない」
彼は微笑みながら言った。しかしその目は笑っていなかった。
「なので・・祖父母、父母の帰りたいと思いを私たちが叶えたんです」


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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました