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アジェのパリ#02/アジェが見つめたパリ
アジェのアパートにほど近いパリ/モンパルナス・カンパーニュ=プルミェール街30番地に、著名な写真家マン・レイが暮していた。
マン・レイは、アジェに心酔していた。彼を通してアジェを知った人は多い。ジャン・コクトーもそうだった。
コクトーはアジェの写真に驚愕し、パリ市に彼を紹介した。「是非パリ市は、この稀代の記録者によるパリ市のアルバムを作るべきである」と。
その強い推奨に動かされてパリ市はアジェへ「最もパリらしい写真を取ってほしい」という依頼を出した。アジェはこの仕事を請けた。そして市井の行商人/町の小商い屋/洗濯女たちの写真を撮って市役所へ届けた。アジェは、彼が知っている「最もパリらしい」写真を撮ったのである。そこには市が望んだような美しい観光都市としてのパリを撮った写真はひとつもなかった。。 もちろん、これらの写真はアルバム化されていない。
しかし代金は支払われたので、アジェには何の不満もなかった。売れて何かしらの収入になればいい・・自分の写真が受けるか否かは彼にとって埒外なことだったのだ。
この話は、限られた人々の間で伝説化し、アジェは市井の哲人としてきわめて有名人になった。色々な人々が彼の知己を望んだ。しかしアジェは煩わしい人間関係を嫌い、自ら動くことはなかった。
病床の伴侶ヴァランティーヌを置いて、出かけようとはしなかった。彼女が倒れてからは撮影活動も殆どしていない。彼に逢うには、彼の写真を買うということで、彼のアパートを訪ねるしかなかったのだ。
アジェのアパートのドアには「Docments pour artises(芸術家のための資料室)」という小さなプレートが出ていた。
古びたアジェのアパートは仕事場兼住まいだったので、訪問客はヴァランティーヌが病に伏している部屋の隣にあった居間で、アジェと話をすることになる。もちろんお茶や菓子が出る訳もない。
老人臭の沁み込んだ部屋で、自分の撮った写真を見せながら訥々と/ボソボソと話すアジェに圧倒され、大抵の人は場違いな所へ来てしまったことを後悔し、何枚かの写真を購うと早々に退散することとなる。
そんな「退散話」を聞くと、マン・レイはご満悦だった。「俗物退治はアジェ氏におまかせ、だな」と・・
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