閑話夜話その14/「教え(オシエ、ヲシエ)」と「愛し(ヲシ)う」
僕のお風呂タイムは、読書タイムを兼ねてまして、ぬるま湯にジックリと漬かりながら古今東西の碩学に触れます。以前は、ついでにワインのボトルを一本持ちこみまして、こいつをボトルごとグビグビ呑りながらだったんですが・・最近は嫁さんの目が有るので控えております。
・・昨夜、読んでいたのは明治の碩学上田万年の「日本語の歴史と語源」でした。面白い。
中に「おしえる」という話がありました。
「教え(オシエ、ヲシエ)」のヲシは「愛し(ヲシ)」に由来するとのこと。ハ行では「ヲシフ/教ふ」マ行では「ヲシム」と二つの方向へ発展したそうです。いずれも語源は形容詞のヲシであり、可愛い/愛着すべきという意味だそうです。
後鳥羽院の歌に「人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆえに 物思ふ身は」というのがありますが、この「をし」は、まさに「いと"をし"」なんですね。
教えることの本質に「愛」を置いているのは、日本という国の素晴らしさだと思います。我が子に教える。我が子弟に教える。これの本質は愛だということ。師に向かう時、私たちはその教えに/愛に頭を下げるべきなんでしよう。
ああ、教育を情報の伝達と思っている輩には縁無き話でした。日教組にFの花束を。
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました