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悠久のローヌ河を見つめて02/ジュネーブ・リヨン線

遥か北方におわします白き神/ローヌ氷河を水源とするローヌ川は、ローヌ渓谷を疾走しレマン湖へ注ぎ込む。その凍りつくような水流は、たおやかなレマンの湖水にぶつかり、川面は泡立ち逆巻く濁流となる。川端から見つめるその格闘は、まるでハードネゴシエーションばかりが続くMTGのようだ。
僕はいつもそう思った。
そして氷河の雪解け水は暫くの間、湖に抱かれて惰眠み、再びレマン湖の南西から旅立つ。
この流れは優しい。川は南進し、今度はベルナー・オーバーラント山脈を大きく巻き込むようにグラルナー・アルプス山脈の間を静かに、少しずつ大河に育ちながら流れていく。この辺りはヴァリス渓谷と呼ばれている。

ジュネーブ駅で乗ったTER(Train Express Regional)は、このローヌ川に沿ってヴァリス渓谷を暫く進む。窓から見える景色は終始アルプスの真白い峰々だ。ローヌ川の姿は時おりしか見えない。何度も何度も小高い山々が列車と川の間を塞ぐのだ。そしてClosの町を越えると列車は谷間を離れ山を昇り始める。もうリヨンの街へ着くまでローヌ川には逢わない。景色は全て山模様に変わり、岩肌と真白い雪景色だけになる。

今から20年ほど前、ハードネゴシエーションに疲れた僕がジュネーブ駅で乗った列車のコンパーメント(客室)は、幸いなことに僕一人だった。真冬だったからかもしれない。
車上は、数少ない電話から解放される時間だ。可能なら、ひと息れからも解放されたい。だからいつでも機上/車上ではすぐさまヘッドホーンをして読書モードに入るのだが、そのときはひたすら車窓からアルプスの神々の峰を見つめた。ジュネーブで言われた「ローヌ川と一緒に、ジュネーブからリヨンまで流れておいで。きっと心も身体も優しくなる。」という言葉が、とても身に沁みていたからだ。僕はひたすら白い神々の峰を見つめ続けた。

この城塞都市リヨンとレマン湖/ジュネーブを繋ぐ回廊は、古代ローマの頃から交易の道として拓かれていた。中央に流れるローヌ川を使って、商人たちは平底の船にワインを詰めた陶器の壺アンフォラを積載し川を上ったのだ。流れの強い所では、きっと陸に降りて縄で重い船を曳いたに違いない。筆舌では尽くせない難所だったに違いない。
それほどまでしてローマ人が欲しかったのは錫だった。青銅器を作るには錫は必須だ。
その錫を掘り出していたのは採鉱の民ケルト人である。ローマ人はローヌ川を遡り、各所にポツリポツリと交易所を置き、そこまでワインを運び、これを錫と交換していたのだ。
こうした交易は、紀元前500年くらいから行われていたようだ。しかし冬場は閉じられていたに違いない。春から夏、秋にかけてだけ実行されたはずだ。冬はあまりにも厳しい。

彼らが艱難辛苦した道を、いまTERは事もなげに疾走し、リヨンとジュネーブを二時間余りで繋いでしまう。僕らはたった2時間で、ローマの商人たちの粒々辛苦を重ねた仕事の道を追体験出来てしまうのだ。

僕は車窓から、額の汗を拳で拭いながら、冷厳な空気の中を黙々と進む商人たちの姿を何度も何度も幻視した。途中で斃れる者もきっと無数にいたに違いない。夢を口に含んで力尽きて逝く者も多かったに違いない。ジュネーブのハードネゴシエーションに敗れ、俯き加減に舌を噛みながら去るビジネスマンの姿は、2000年変わらない商人たちの姿だ。それでも人は商いを求めて突き進む。商いこそ、人そのものだからだ。
僕は温かいコンパートメントの中で、冷厳な白い雪に覆われた岩肌を見つめながら、小さく肌を泡立てた。
こうして、子供のように息を呑み車窓を見つめるうち、TERはLyon-Part-Dieu駅へ到着した。

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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました