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小説・バーチェットのヒロシマ#05
さて。kappaだが・・バーチェットが広島警察署に入った時、そのままふっといなくなった。バーチェットが対応に出た警官の通訳を頼もうと振り返った時には、同盟通信社の現地の人に届けてほしいと頼まれた荷物と共に姿を消していたのだ。
となると警察に英語を話せるものはいない。身振り手振りで話しても通じない。困り果てていると、血相を変えた同盟通信社の支局長が飛び込んできた。「バーチェットさんですね!びっくりしました。今和泉局次長から、いま連絡がきました。あなたが警察署にいると・・なぜ次長はそのことを知ってるんですか?」
バーチェットは安堵した。どうやってかはわからないがkappaが連絡をしたに違いない。
バーチェットはその日9月2日、広島に泊まった。そして前述の記事を広島の同盟新聞社から横須賀のヘンリー・キーズへ写真と共に送った。この記事は9月5日原子の伝染病(THE ATOMIC PLAGUE)」という見出しで、ロンドン・デイリーエクスプレス紙に掲載された。
翌日、バーチェットは半壊の同盟新聞社広島支局を訪ねたのち、局長に送られて、一人東京へ向かう列車に乗った。横須賀に戻ったのは9月4日である。kappaと名乗る小男には、以降二度と逢う逢うことはなかった。
マッカーサーがバーチェットの記事を目にしたのは新聞が出た翌日の朝だった。彼は激怒した。「この馬鹿野郎を逮捕しろ!」と怒鳴った。
その日の午後、プレスセンターにいたバーチェットは、その場で逮捕された。もちろん取材は違法行為ではない。確かに西日本は立ち入り禁止地区に指定されてはいたが、それだけでは逮捕理由にならない。尋問と留置は翌日で終わった。
しかしホテルへ帰ってみると、撮影したヒロシマのネガは彼のカメラと共に消えてなくなっていた。荷物もすべて乱雑にかき回されていた。そしてその日の夜。強制退去命令書がMPによって届けられた。24時間以内の撤去命令である。命令書には、即日厚木基地へ出頭せよと書いてあった。
彼は沖縄に送られ、沖縄からマニラへ送られた。そしてマニラで放り出された。彼がロンドンへ着いたのは、一週間後だった。
その頃には早くも、バーチェットの記事に対するネガティブキャンペーンが、アメリカによって大々的に繰り広げられていた。
否応なくバーチェットは徹底的な誹謗中傷の渦に巻き込まれたのである。彼は失職すると共に全てを失った。
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