ボージュ卿の荘園/beaujoLais nOuVEauに秘められたLOVE#06
地中海側からローヌ川を遡っていくと、リオンの街の手前で川は二つに分かれます。大きく右に曲がるのがローヌ川。そのまま上に上がるのがソーヌ川です。ローマ人が開墾した村は何れの川にも点在しています。
ボージョレーの語源となるボージュという村は、リヨンよりもう少し北にありました。ここはボージュ卿が統治する男爵領でした。900年代初期に、フランク王から拝領しています。しかしブルボン朝時代(1400年代)には、王に召し上げられて直轄領になっています。男爵領だったのは、ほぼ500年ほどの間でした。経済圏としては、すぐ近くにあったリヨンの中に含まれていたと考えてよいでしょう。
リヨンは古くから交易の街としてローマ人の支配下にありました。ローマが去った後はカロリング王朝がここに司教座を置き、大司教の街として栄えました。長大な城壁に囲まれた城塞都市です。ボージョレーの人々は、ここに収穫物を運び商いをしていました。
実はここがとても重要な意味をもつポイントです。
ボージョレーのマーケットは、そのままソーヌ川を遡った、デジョンやボーヌというブルゴーニュ地方ではなく、川下のリヨンだったということ。現在、ブルゴーニュ地方に含まれているボージョレーですが、当時は全く別物の経済圏だったのです。実はボージョレーは、今に至るまでブルゴーニュ地方とは少し離れた経済圏の中にある地域です。人々の気質も違います。
その大きな理由は、ブルゴーニュ地区がフランス王国からアパナージュされていたブルゴーニュ公国のものだったからでしょうね。このアパナージュというのは、王位継承者以外の兄弟・男系のみに与えられる領地のことで、王家に対しては強い独立性を持つことが出来る領地です。つまりフランスでありながら、フランス王の管理からは遠い。そんな感じでしょうか。
したがってフランス国王直属の男爵領としては、市場にし難いという背景があったと考えられます。それと販路としてソーヌ川を使うならば、川は流れに沿って下った方がはるかに楽だったからでしょうね。リヨンへの陸路も、それほど険しくなかったので、これが大きな理由になっていると考えられます。