ジンファンデルの話02
ビザンティウムと呼ばれ、コンスタンティノープルと呼ばれ、今はイスタンブルと呼ばれる古代から連々と続く街は、ヒスボラス海峡を挟んで二つに分断されています。バルカン半島側を「旧市街」アナトリア半島側を「新市街」と呼ばれています。
この二つを繋ぐ橋がヒスボラス海峡に架かっているガラタ橋です。
旧ガラタ橋は1991年でしたか焼失してしまいました。今のは新ガラタ橋です。
この橋は面白いことに2階建てです。橋の下にレストランが並ぶ。美味しい魚料理を食べさせる店が多くて何れも混雑している。ちなみに此処で供する魚は、ガラタ橋の上で釣り人たちが釣ったもので、これを帰りに橋下のレストランで売って帰る。素敵ですね。...
その旧ガラタ橋の中央部に、標識がありました。こう書いてありました。
「これより東洋(オリエントOrient)・これより西洋(オクシデントOccident)」と。
今の新ガラタ橋には、この標識は有るのでしようか?知りません。見に行きたいなと思っています。
さて。このイスタンブルですが。黒海とエーゲ海に挟まれた狭い地帯ですが、ビザンティウムと呼ばれる以前から文明の通る道として極めて重要な道でした。所謂灌漑技術を背景とした誕生した先史文明はアナトリア半島側(オリエント)で生まれたものです。これがこの狭い陸橋を抜けて、紀元前2000年ほど前にバルカン半島に伝わった。
あ。最初に「陸橋」と書いてしまいましたが、実は当時はまだヒスボラス海峡は無かった。陸橋でした。
この陸橋が壊れて黒海とエーゲ海が繋がったのは紀元前5600年ほど前のこと。温暖化で海面水位が上がっていた地中海が水圧で岩盤上の溝a rocky sillを突き破り繋がったのです。そして地中海より遥かに水面が低かった黒海に怒濤の如く流れ込んだのです。そのために黒海周辺に有った村・町・畑は一年余りで全て水没してしまいました。
この時の様子を、コロンビア大学の地質学者ウィリアム・ライアンWilliam Ryanとウォルター・ピットマンWalter Pitmanは、以下のように書いています。
「ナイアガラの滝を一日に流れ落ちる量の200倍にあたる10立方マイル [42 km³] もの水が毎日流れ込んだ。 …ボスポラス峡谷は怒濤のごとく荒れ狂い、それが少なくとも300日以上続いた。」
この大災害が、オリエントに拡がる「大洪水神話」の祖形になっているのではないかと云われています。