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夫婦で歩くシャンパニュー歴史散歩7-1-7/シャンパニュ古代都市トロアヘの旅

https://www.youtube.com/watch?v=cJV9vfuND08

「パリを囲む城塞跡を歩いたとき、近郊の農家はその外壁で生産物を売った・・という話をしたよね?リヨンでもその話をした」
「ええ。市民税でしょ?外壁で商いをすると税金がかからないから。リヨンは食堂も居酒屋も外壁に有って、夕方になると市民は壁を越えて買い物したり食事をしたという話。リヨンにワインを売りに行った農夫たちの話でしょ?」
「うん。そのことでリヨンは外壁を跨いで大きな町になっていった。
この"通行"税と言う奴な。これが広範囲で行われる交易の大きな阻害要素だったんだ。
シャンパニュー公はこれを"大市の中では"大幅に下げたんだ。
それとフランドル伯との政略結婚が、シャンパニューとフランドルの"壁"を取り払った。そしてシャンパニュー大市を訪ねる商人に保護と保証を与えたんだ。彼はね、市場には平和と安定性(持続性)。そして公平性が必須だと理解していたんだよ。彼はそれをシャンパニューの大市で具現化させたんだ」
「素晴らしいわね」
公平性を維持するために、商品を測る計量は基準を定めた。それがトロイ・オンスTroyes Oz.だった。
トロイオンスは、フランドル伯との政略結婚の後、すぐに(1147年)定めらけている。1トロイオンスが244.753グラムである。銅で作られた秤はシャンパニュー公から支給され、しだいに自分たちでも作られるようになった。
「商人たちはスパイス(サフラン、生姜、コショウ)食料品(ワイン、ゲランドの塩、蜂蜜、野菜、果物、肉)金属(銀)など重量で販売するものは全てトロイオンスをベースに仕分けられるようにシャンパニュー公が指令した。このとき定められたトロイ・オンスが、標準計量器として欧州全世界に広がったんだ。今でも貴金属の世界では、そのまま使用されている」
「あ!トロイOz.って、そこから始まったの!」
「ん。そして共通通貨だ。デニエ・プロヴィノワdenier provinoisという。
大市内での取引きは物々交換ではなく、シャンパニュー公の発行の通貨で行われたんだよ。信用できる通貨の確立は、取引を極めてスムーズにさせるからね」
「ワインを売ったお金で、そのままスパイスや食料品が買えるわけね。いちいち物々交換の交渉をしなくて良くなったわけね。お金ってねすごいわね」
「実はシャンパニューの大市には北イタリアの商人たちが大量に入っていた。彼らは既に地元で通貨を利用していたんだ。もちろん、彼らは郷に合わせてデニエ・プロヴィノワを使ったんだが、そこに彼らが使用していた手形や信用状なんていう為替技術を入れ込んだんだよ。これがさらにシャンパニュー大市を拡大隆盛させたんだ。」
イタリア商人の持ち込む香辛料/染料/医薬品/宝石/絹織物。そして北欧・イングランド・ロシアからの商人たちが持ち込む羊毛/毛皮/蝋/蜂蜜/ニシン/木材/小麦/卑金属類などが一堂に此処に集結したのである。
「面白いのは、かなり早くから諸国間で専門化が起きてるんだ。イタリア人はシルクやスパイス、フランドル人はキャンバスやシーツなど、さらに北方の商人たちは革や毛皮を取り扱っていた」


「ワインは?」
「そう。まさにワインだ。北ヨーロッパのマーケットは、ワインをワインが作れない人々のために・・最初は錫と交換するために始まったんだ。自然発生的にね。そこに毛織物や毛皮の取引が追加され、同時に交換用のワインだけではなく東方のスパイスや宝飾品などの商品を持ち込むイタリア商人が現れて次第に大きくなったのさ。同じ現象が、もっと北の沿岸部フランドル伯領や、ソーヌ川/ローヌ川を孕んだブルゴーニュ公領でも見られた。理由は外威だったモスレムが収斂した事、農業革命で生産物が激増した事だ。それと気候的にも寒い時代が一段落したことも大きいと思うな。」
「そこにシャンパニュー公という明晰な領主があらわれた・・ということね」
「ん。より中央部だったシャンパニュー地方は流通としてはフランドルやブルゴーニュより条件が悪い。それを払拭するオファーとシステムをシャンパニュー公が生み出したということさ。
しかし・・もちろん、産業に夕暮れは来る」
「夕暮れ?上手く行かなくなっちゃったの?」
「シャンパーニュ伯だったルイ10世が、色々変転が有ってフランス王になったんだ。必然的にシャンパーニュは1314年から国王領になった」
「すごいじゃない。フランス国王になったんでしょ?」
「国王領となれば、自立自尊の商いは出来なくなる。フランスの税システムに繰り込まれてね、大市は唐突に税金が高騰したんだ。一番美味しかった税金がひくいという意味が雲散したんだよ。それとね、地中海からの商人がシャンパニューに来なくなったんだ。航海技術が進化して、直接生産者の所へ買いに行くようになったんだよ。
マーケットは1300年代に入ると、見る影もなく凋落してしまったんだ」
「そうなんだ・・」
「ところがね、残ったものが有った。金融都市としての機能だ。両替商が金融業だ」
「どういうこと?」
「たとえばイタリア諸都市から北商人たちは取り引き後、交易商品をもって帰るならいい、通貨を持って帰るのは途中とても危険だ。なので彼らは為替手形が出したんだよ。商いがあった場所と違う場所で支払うという為替手形だ。為替手形は互いの合意がないとタダの紙っぺらだ。となると、ここに利息という考え方が出てくる。利息というのはリスクの代替え物だからね。これが入り込むと、まさに金融業になっていくわけだ。シャンパニュー大市が去った後もトロアは金融商業として、しっかりと残ったんだよ」


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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました