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パリ・マルシェ歩き#40/サン=トゥアン01

ロジェ通りを北西に歩くとMOB HOUSE(70 Rue des Rosiers, 93400 Saint-Ouen-sur-Seine)がある。
https://www.mobhouse.com/

サン=トゥアンでは一番お気に入りのホテルだ。ここはベッド/デスク/ミーティングスペースが一体となった3in1の客室がある個性的なホテルだ。長期滞在しても、此処ならわざわざレンタルオフィスを探したりしない。ビジネス・ユースを狙ったコンセプトである。
「ここは仕事でパリに来た時によく使うんだ。しかしお客さんにはサン=トゥアンのホテル?とビックリされるがな」
「サン=トゥアンって、第一印象は蚤の市の街ですものね」
「でもいいホテルだよ。リヨンとワシントンDCにもあるよ」
https://luxegetaways.com/mob-hotels-cyril-aouizerate/
「ふうん」と嫁さん。あまり関心はないようだ。
いいのになぁ~。

そのまま少し歩くとガブリエル・ペレ通りGabriel Périにぶつかる。右に曲がってしばらく歩くとサン=トゥアンの市庁舎が並ぶリピュビリック広場Pl. de la Républiqueにぶつかる。
Mairie de Saint-Ouen(7 Pl. de la République, 93406 Saint-Ouen-sur-Seine)Social Action Communal Centerが北側にある。かなり大きな広場である。
「立派な市庁舎なのね」
「ん。サン=トゥアン市は19世紀に入って急成長したからね」
「蚤の市のおかげ?」
「いや、パリ周辺の工業化の中心地だったからだ。いまでもそうだ。製造業や物流業が集まっている。実は税収豊かな地区なんだ」
「工業化?工場地帯だったの?川崎市みたいな感じ?」
「おお、良い例えだな。ん。まさにそうだ。
パリ周辺は、フランス北部に広がる広大な平原地域の一部だ。ピカルディー、シャンパーニュ、ブルゴーニュへと広がっている。温帯海洋性気候でね、四季通して穏やかで降水量も適度で、農業にとても向いた地だ。サン=トゥアンは蛇行するセーヌ川が生んだ肥沃な農業地帯だったんだ」
「だった?」
「パリの近郊だからね、マーケットが近い。だから古くから小麦や野菜・果実が生産されていた。農作物はセーヌ川を通ってパリ市内へ送られてたんだ。それと家具や工具の工場など家内工業も色々あって、これらは全てセーヌを使ってパリ市内へ送られていたんだよ。バリ近郊という位置を、サン=トゥアンは活かしていたわけだ」
「なるほどね。でも、それがなぜ、だったになったの?」
「実は、この『セーヌ川に寄り添う』そして『パリ市近郊』という地理条件が、19世紀に入るとサン=トゥアンを激変させた。19世紀は産業革命の時代だ。その潮流にサン=トゥアンは巻き込まれてしまったんだよ。ほぼ50年ほどで農業地帯から工業地帯へ大きく様変わりした。たしかに市は豊かになったけどな」

「その豊かさの証明が、この市庁舎なわけね」
「ん。その通りだ」
「近郊都市とは思えないくらい立派な施設ですものね」
「人も激増した。工業都市は雇用の創出を起すからな。仕事を求めて各地から人々が集まった。そして1800年代後に入ると土地の農民は次第に消えて、労働者の街になったんだ。街の収入格差は極端に乖離した」
僕らは地下鉄13,14番Mairie de Saint-Ouenを過ぎて、左に曲がりRue Albert Dhalenneへ入った。
「でもそんな、収入格差はこの辺には見られないわね」
「ん。二つの大戦を挟んで激変したんだ。18世紀の頃に作られた建物はほとんど消えた。棲み分けは・・というと地区単位で分かれてるな。産業革命を輔弼するためにフランス政府は旧植民地から多くの移民を呼び込んだんだが、かれらのコミュニティが今でも周辺にたくさんある」
「旧植民地?」
「アルジェリアやモロッコ、チュニジアなどだ」
「あ・なるほどね」


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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました