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ボージョレー・ガリアの森から/beaujoLais nOuVEauに秘められたLOVE#02


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神話時代。テュロスにエウロパという絶世の美女がいました。ティロスは、今のレバノンのあたりです。地中海東端に面していました。エウロパは、その地の王アゲイルの娘でした。ある時、天上から見ていた多情な神ゼウスが彼女を見初めた。そして白い美しい牛に化けて彼女に近づきます。エウロパは、その美しさに魅惑され背中に乗ってしまいます。と、突然。ゼウスが化けた白い牛は爆走。彼女を背にしたまま地中海を走り抜けます。そしてクレタ島に到着。エウロパはゼウスとの間に三人の子供をもうけます。その一人がミノスです。ミノスは成人してクレタの王となりました。

ギリシャ人たちは、自分たちをミノスの末裔と信じていました。それなので自分たちが生きる大地を母の名前で呼んだ。エウロパと。
これがヨーロッパという名前の由来です。

その彼らが暮らしていたのは、地中海に沿った地帯あるいは島嶼でした。内陸部ではない。地中海はパンゲアから続く古い海です。したがってとても深い。浅瀬が狭く、海に面した土地も狭く、すぐに険しい山が立ち上がってしまう所です。ギリシャ人は、その森深い山の中に入ることは有りませんでした。もちろん、だからといって森深い広大な土地が全くの無人地帯だったわけではありません。わりと知られていないのですが、歴史に出てくる新石器時代のヒーロー、クロマニオン人は、現在のトゥールーズの近くで暮らしていましたし、有名なラスコー洞窟もピレーネにあります。ボージョレーにも川沿いに旧石器時代の遺跡が幾つも見つかっています。ヒトたちは、森の奥に太古から住んでいたのです。

そこへ北方から船で下りてきたケルト人たちが、川沿いに幾つもの集落を作るようになったのは、紀元前500年くらいからのようです。ちなみにパリは、セーヌ川にあった中州にペリシテ人が作った集落が最初です。実は、パリの誕生はフランスよりも古いのです。


次第に凋落していくギリシャ文明を踏襲して、イタリア半島中央部にいたラテン人=ローマ人が台頭してくると、次第に北の民との交易も盛んになります。中でも重要なのは錫でした。青銅器を作るには、銅と錫が必要です。錫はバルト海の向こう、そしてフランスの北方で取れていました。採掘していたのはケルト人です。ローマ人は、彼らが採掘した錫を、ワインと交換していました。ワインはアンフォラと呼ばれる大小さまざまな陶器に入れられて、交易所まで運ばれていたのです。そのために利用された搬路の殆どは河川でした。特にローヌ川が重要な位置を占めていた。それはローヌ川が、地中海と北方ヨーロッパを繋ぐ唯一の大河だったからです。

交易は、錫も農作物も獣皮も、すべてこの川を使って船で運ばれました。そのためローマの興隆と合わせて、ローヌ川の川沿い、そしてリオンで合流するソーヌ川の川沿いに、幾つもの集落が誕生しています。それはケルト人(ローマ人は森の民ガリア人と呼んでいた)とローマ人が共に暮らす集落でした。そこでは二つの血が繋がる子供たちも沢山産まれた。文化的にもガロ・ロマンという特異な様式が醸し出されていきます。

それは新しい独自の文化圏を作り上げることでもあります。特に東方からゲルマン人たちが多数入ってくるようになると、もともと自立自尊の傾向が強いガリアの民は、強圧的で支配的なローマに敵対するようになってしまいます。

それに目を付けたのがカエサルでした。当時、若きカエサルはローヌ川河口周辺のガリア属州の提督でした。彼は、反ローマ的なガリア人を討伐平定するという名目でローヌ川を北上。その戦果をもって、帝王までのし上がってしまいます。

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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました