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堀留日本橋まぼろし散歩#09/夢二夢散歩#03


お休みだから日比谷に夢二を観に行こうと思った。タクシーを有楽門のところで降りた。行きも帰りも歩きじゃ、とっても腰が持たないからね。片道はラクさせてもらった。

お目当ての日比谷図書館は国会通りの西幸門の傍だから、あっちでも良かったんだけどね、天気も佳いし散歩しながら行こうと思ったんだ。それで有楽門。心字池の横を歩いた。
「この心字池は僕が子供の頃、犬連れて散歩するときの目的地だった」
「犬に池で釣ったザリガニ食べさせて自分はチョウシ屋ノコロッケパン食べたという話?」
「うん。佃から渡しで明石町へ渡って、三吉橋から木挽町。木挽町でコロッケパン買って、それから昭和通りへ出て、そっからは心のまま銀座を有楽町を抜けて日比谷から有楽門というコースだった。片道小一時間ってとこだ。まだ佃大橋はなかった。ありゃあ僕が小学校を卒業したときの記念で出来た橋だ」
「ちがうでしょ。卒業したときにできた・橋でしょ」
「まあ、そうとも言う。あの橋のせいで佃掘りが埋め立てられて佃島は島じゃなくなったんだ。海苔煮て干す風景も全くなくなったしな。・・佃島 心の中の すきま風・・ってやつさ。冬の夜の、佃の渡船所。よく憶えているよ。大川に突き出て浮いてたから、ゆうらりゆうらりと揺れててな。それにつられて天井の裸電球も揺れて影も揺れて、まるで幻の中にいるようだった。まあ子供心に深く響く風景だったな」


「でも・・なにか寂しそう。あなたの子供のころ話って、いつもひとりね」
「ああ、うん。そうだな・・そうかもしれないな」
「犬を連れての散歩も、ひとりだったんでしょ?」
「ひとりじゃない。犬も一緒だ。・・でも独りのほうが良かったりもするんだ。独りだと聞こえてくるものもある。他の人がいると聞こえてこないものもある。心をポン!と広げて気に触れるのは独りじゃないとできない」
「でもそれは大人になってからでしょ?子供のときは違うんじゃない?」
「そうかな・・それは判らないな。ヒトの汗と声と臭いにだけ塗れて育つことがそんなに良いことだとは思えない。そんな風に閉じ込められた井戸の中だけで育っちまうと、ほんとは聞こえていた・・昔の人には聞こえていた"声"・・"圧"が感じられなくなってしまうと思うよ。見えないものに対する感性が極端に鈍ってしまう。
子供はなるべく長く『神話』の中に生きたほうがいい。なるべく長く『あやかし』の中にいたほうがいい。『理・・ことわり』に塗れるのは『ことたま』が、心の血肉になってからでいいと思うんだ。そうしないと、目に見えているモノしか見えなくなってしまう。
ギリシャの人々はテオーリアtheōriaと言った。アジアは観照・・かな。それを得るのが至難になる」
「あなたが時々言う言葉を超えたもの・・という話?」

「ん。たとえば・・この心字池の向こうにある高台が有るだろ?あれは江戸時代に作られたは野面積み(のづらづみ)の石垣だ。ここは江戸城へ登城するための御門があった。古い御門で家康さんが生きてた頃に築造されたもんだ。・・でも・・そうやって言葉を並べると、へぇで終わってわかった気になっちまう。でもちっともわかってないんだ。作られて300年以上経ってる。どれだけの人が、ここをどんな気持ちで・・なにを心に背負って通ったか・・言葉を並べてみたって、ちっとも聞こえて来ないんだ。
あの残された石垣の周囲は濠になっていた。明治の御代になってこの辺に有ったお屋敷を取っ払って・・松平肥前守の屋敷が大きかったんだが、これを明治政府陸軍の練兵所にした。公園にしたのは明治36年だ。そのときにお濠の一部を心字池として残したんだ。・・どれほどの人が、この濠を・池を見て過ごしたのか?そして・・僕らが老いて逝った後も、この池は残るんだ。僕らの子らが、この池を見つめて何を思うのか・・その深い心の底の木魂のような共鳴は・・ひとりじゃないと聞こえてこないんだ。・・すくなくとも僕はね」
「でも・・なんか・・悲しい話ね」と嫁さんがぽつりと言った

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました