
星と風と海流の民#50/扶南王国#05

アンコールボレイを訪ねた翌日、ガイドをしてくれた若者二人とRUAの先生を、僕が泊まっているRaffles Hotel Le Royal(92 Rukhak Vithei, Phnom Penh 12302,Cambodia)のレストランへ招待した。MoauくんとSuanくんはネクタイ着用でやってきた。ディナーのあと、4人でバーラウンジヘ移った。
「インドシナに人類が入ったのは180万年位からだろうと言われてます。最初にアフリカから出て、大陸に進んだホモエレクトスです」RUAの先生が言った。
「プレ・グレートジャーニーですね」僕が言うと先生は笑いながら頷いた。
「はい。所謂グレート・ジャーニーは20万年位から始まった現生人類の拡散ですね。彼らがインドシナ半島へ入ったのは5万年位前からです。彼らは旧人よりもはるかに精巧な細石器と呼ばれる特徴的な石器技術を持っていました。イギリスのポール・メラーズ博士Dr.Paul Mellarsは、その拡散経緯について『沿岸特急』という仮説を唱えています。現生人類は東アフリカからアラビア半島南東部までは海岸部を経由して南アジアへ拡散したという説です。そして、そこからさらに東南アジア、オーストラリアまでへ広がっただろうと言っております。このメラーズ博士の説に従うとしても、インドシナ地区で内陸部へ拡散するのは至難だったかもしれません。地域によって、登場する時代が大きく違っているからです」

「やはりメコン川流域からですか?」
「はい。そうです」
「稲の伝搬もですよね。雲南省で成立した稲作文化がメコン川を通して東南アジアに広がった。8000年ほど前ですか。人々もこの道を使って南へ拡散された」僕が言うと先生が笑った。
「そうですね。そのルートがいま一番有力です。中国南部からインドシナ半島への水稲の伝搬はイラワジ川流域を経由するルートや、浙江省あたりからベトナムへというルートも考えます。もちろん稲と共に人々も入りました。
メコン川流域の少数民族・タイ族やラオ族、そしてクメール族もそのルーツは雲南省から南下してきた人々かもしれないと言われています」
「雲南省周辺の稲作を能くする民族と言うと‥イ族やミャオ族、中国南部のタイ族、ですか?」
「そうですね。言語的にも近しい人々です。タイ語は、オーストロネシア語族タイ・カダイ語派ですが、この始祖は中国南部から拡散した人々の言葉でしょう」
「カンボジア語は?」
「モン・クメール語族です。これも同じくオーストロネシア語族ですが、シナ・チベット語族の影響とともに印欧語の影響も強く受けています。おそらくですね。ベンガル湾沿岸から東進した印欧語族がマレー半島へ広がり、彼らが
タイランド湾を辿ってカンボジアに広がっていったのかもしれません」
「なるほど」
「稲作伝承という切り口から見ると、インドシナ列島への稲作伝搬は、大きく雲南省ルートとインドルートがございます。始祖は間違いなく長江流域で成立した稲作文化ですが、これがシルクロードラインを使って西へ広がっています。インドではガンジス川流域にこれが定着しました。その稲作文化が拡大して東へ・・インドシナ半島へ広がった」
「なるほど・・8000年というタイムスパンですからね、幾つもが交差してインドシナ半島へ稲作文化をもたらしたわけですね」
「そうですね。人々も‥そして言語や文化も、です」

いいなと思ったら応援しよう!
