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ワインと地中海#38/フェニキア人とアドリア海


コルフ国際空港をでた飛行機は一度地中海に向かって飛び、ヴラチェルナ修道院Vracellona Monasteryの上あたりから大きく右へUターンし島を跨いでアドリア海へ向かった。
席を左側にしたのは、空からヴラチェルナ修道院が見えるかもしれないと思ったからだ。嫁さんには窓側に座ってもらった。
「岬から突出している白い教会。あれがギリシャ正教の教会・ヴラチェルナ修道院だ。ヴェネツィアの時代に作られたものらしい。建立が何時なのかは不明だ。でも15世紀の資料には名前が有る。1980年までは尼僧院だった。聖母マリア・ヴラヘルナを奉じている」
「聖母マリア・ヴラヘルナ?」
「キリスト教は本来父性型なんで女性については軽んじていた。マリアもイエスに帰依した人の一人という扱いしかしてなかったんだ。それなんで、イエスの母マリアが独自に信心対象になったのは、ローマ教会が都市型から郊外型に替わったとき、夫々の土地に根付いていた地母神と混交したからだという話をしたよな」
「ええ。西暦300年あたりからよね」
「ああ。このとき地母神との混交は、無数にアリアの名前へ付与した言葉をもたらした。ある人の計算だと1747種類あるという」
「1747!!」
「ぱっと思いつくだけでもTheotokos、Portaitissa、Odegetria、Prussiatissa、Faneromeni・・ヴラチェルナVlacherinaはそのなかのひとつだ。イオニア諸島は聖マリア・ヴラチェルナという名前でマリア信仰/地母神信仰を守っている」
「ということはギリシャ神話の女神さまに替わったの?」
「いや・・もっと古いかもしれない。フェニキアにはアスタルトAstartという豊穣神がいた。旧約聖書に異教の女神としてその名前が出てくるよ。アシュトレトAshtorethだ。"恥"という意味だ」
「恥!」
「最初にイオニア諸島へ渡って移植したのはフェニキア人だったからね。この地に地母神を持ち込んだのはおそらく彼らが最初だろう」
機上から見える景色は雲の間から覗ける真っ青なアドリア海だけになった。幾つかの行きかう船々の姿が見えた。
「オデュッセアはイオニア海を"深いワイン色に染まった海"と言っている。当時まだ"青"という言葉が無かった。それでワイン色と言ったのかもしれないな。アドリア海は二つの陸に挟まれた海だが、海棚が狭くて深海の部分が多い。そのため海の色が暗いんだ」
「そういえばそうね。エーゲ海の色と全然違う」
「このイオニア海を渡ってイタリア半島南部へ移植したのもフェニキア人だった。
なぜ彼らはこの大海を渡ったんだろう?・・おそらくだが、フェニキア人たちはこの広大なイオニア海の向うに、巨大な陸地が有ることを知っていたんだろうと、僕は思うな。既に彼らは北アフリカ海岸に沿って進行していたからね。地中海に突出したボン岬半島Cap Bon Peninsulaを知っていた。ここからシチリア島現マルサラまでは海路100kmはない。フェニキア人は先ずアフリカ側からシチリアに移植したんだろうな。そしてカラブリア半島へ広がったんだと思う。イオニア海を通ってシチリア島とイオニア諸島を繫いだのはその後だろう」
「ただやみくもに開拓してたわけじゃないのね?」
「ん。僕はそう思うな」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました