東京島嶼まぼろし散歩#06/日本列島に住むヒトたち#06
「近年になって面白い発見が幾つかされているんだ。中国本土で水稲耕作が始まったのは、いわゆる楚のあたり、中国南部なんだ。ここに日本人の考古学グループが調査な入ってる。
https://www.city.shimonoseki.lg.jp/uploaded/attachment/17337.pdf
彼らは山東省・臨涇(黄河下流域)で漢代のお墓を調べてるんだが、残っている人骨は土井ヵ浜遺跡の弥生人とそっくりだったそうだ。
それと、九州大学の研究グループが揚州市・胡上(揚子江下流域)を調査しているが、ここで出土する前漢時代の人骨もやはり日本で発見されている北方系アジア人と同じなんだよ。
時代的に言うと春秋戦国時代だ。2700年くらい前だ。中国中原は動乱の真っただ中だからな。戦いに敗走した連中だけではなく、民もまた新天地求めて外へ出たのかもしれない」
「中国から100万人の移植者がいる・・という話?」
「ん。縄文時代終わりの日本列島には10万人程度、ヒトはいた。ところが、古墳時代のがおわり頃になると500万人くらいになってる。自然増では不可能な増え方だな。急激な勢いで本土からヒトがながれてきたんだろうな。
幾つか面白い研究もされている。例えば唐代の埴原先生がやったシュミレーションを見ると、こんひゅーたで、北方系弥生人と原アジア系縄文人の頭骨の計測値を混合させると、7:3で混合させると、関東地方の古墳人や現代人と同じになるんだ。おなじく東大の徳永先生がやっている研究でも、現日本人の70%が韓国人と同じHLAのタイプを持つことを確認している。国立遺伝学研究所の宝来先生によると、ミトコンドリアDNAも現日本人の65%の人々が中国大陸の人々と共通するとのことだ。つまり。この7:3ということ。これが渡来系弥生人と原アジア系(スンダランド系)アジア人の混血として日本人を形作っている・・ということだな。
で。例外が有る」
「・・でた。例外話。かならずあるわね。ところが・・話」
「例外なき法則は有らざるき・・というヤツさ。①の北海道ルートだよ。たしかに古アジア人は陸路から日本列島へ入った。非スンダランド系の北方アジア人もここを通ったんだが・・実は彼らとはまったく異なるタイプの人々も来たんだよ」
「だれ?あなたの好きなエリア51??」
「ん~ちがう。紀元後に入ってからなんだが・・5世紀ころ、稚内から根室にかけてのオホ-ツク海沿岸に入ってきた人たちがいる。、平べったい顔で、顎がきわめて頑丈で大きいこ人たち゜だ。凍った肉をかじったり、歯で革を鞣したりしたらしい。面長で鼻の付け根が平べったいという特徴だから北方アジア人の顔なんだけどね。オホーツク人と呼ばれている」
「いまのアイヌ人?」
「いや、違う人たちだ。オホーツク人は唐突に来て唐突にいなくなった。北海島には残っていない。実はどこに消えたのかもわからない。でも出自は判り始めてきていてね、どうやらアム-ル河流域からやって来たらしいち言われている。当時、北海道は縄文人由来の人々が住んでいたからね、そこに張り付くように暮らしていたんだろうな。でも自立自尊出来ていたんだろうな。紀元1000問頃から北海道の原アジア人たちが勢力を広げるようになって、あるとき突然オホーツク沿岸から消えた人たちだ。
「颯爽と姿を消した民なのね」
「そうかもしれないね。・・ところで北海道って、長い間非スンダランド系アジア人が入らなかった土地なんだ。稲作が至難だったからだろうな。原アジア人たちが、そのまま自分たちの文化を保ちつつ。次第にアイヌへ移行していったんだ。彼ら縄文時代から住みつつづけていたことは、遺跡から確認できている。九州・四国・本州が弥生・古墳時代のころ、北海道はそのまま"続"縄文時代だった。一部を除いて非スンダランド系アジア人は入ってこなかった。つまりね、ここが大事なとこだ。アイヌは渡来民によって北海道に追いやられたんじゃない。もともと北海道に住んでいた先住民なんだよ」
「つまり渡来系弥生人は北海度をハブした、というわけね」
「その通りだ、北海道が日本の経済圏に入り始めるのは江戸まで待たなければならなかった」