見出し画像

ジンファンデルの話10

①カルフォルニアへ東側からワインを持ち込んだ先駆者として、度々名前を挙げられるのはWilliam Robert Princeという人物です。彼はロングアイランドの裕福な造園家の家に生まれた。1775年です。彼がカルフォルニア・サクラメントに渡ったのは1849年。このとき彼は、ウィーンに有った種苗農園から買った葡萄の苗木を何種類か持ち込んだと云われています。この中にジンファンデルが有った可能性は高い。
彼のノートの中に書かれている「Black St. Peters」という苗が、ジンファンデルだったろうと云われています。

②そして前出のFredrick Macondrayが1852年、ボストンのギブス大佐の種苗農園で手に入れた苗木をカルフォルニアに持ち込んでおり、この中にジンファンデルが有ったことは確認できています。...
その苗木を買った一人が、ナパのオーク・ノル農場のジョセフ・W・オズボーンです。彼の植えたジンファンデルは、現在でも少しですが現存しています。実は、これら古木は自生根です。根まで全てジンファンデルです。驚くべきことですが、フィロキセラは砂地では死滅してしまうのです。したがって砂地に植えられた葡萄はフィロキセラに感染しないのです。

さて。この葡萄の木に「ジンファンデル」という名前を使うようになったのは、ほぼ間違いなくギブス大佐が最初です。
Zierfandlerというのはドイツに有る白ブドウの名前です。ジンファンデルの原種であるCrljenak Kaštelanskiを「ハンガリーのブラック・ジンファンデル」と名付けたのは彼です。以降、この葡萄はジンファンデルZinfandelと呼ばれるようになりました。

③1858年、サンフランシスコで開催されたMechanics Institute Exhibitionのカタログの中では、もうすでにジンファンデルと呼ばれています。

もうひとつ、この後者二つについて言及すると。1852年・Fredrick Macondrayが持ち込んだもの。1858年・Mechanics Institute Exhibitionで展示されたもの。これらはボストンから運ばれたものですから、間違いなくフィロキセラに感染していたと思われます。しかしこの時期はまだカルフォルニアに発症例がない。これは注目すべきです。つまり可能性は二つ、フィロキセラが死滅する砂地地帯に植えられた。あるいはそもそも植えられたジンファンデルはボストンで株分けされたものではなかった。このいずれかでしょうね。

④1862年、ソノマに有った「ブエナ・ビスタ」の創業者であるオーガストン・ハラスティが、ヨーロッパから直接大量の葡萄の木を買ったという記録が残っています。彼の子息が「この中にジンファンデルが有った」と言っています。もちろんオーガストン・ハラスティが持ち込んだ葡萄の苗木は別の名前だったはずです。それを「ジンファンデル」という、そろそろ通名になりかかった名前で呼んだのは彼の息子だったことは注目すべきでしょう。

しかし同年、同じくソノマの別生産者が「ジンファンデルから良いワインができた」という記録を残していますから、おそらくオーガストン・ハラスティがヨーロッパから導入する以前に、もうジンファンデルは同地に有ったと考えられます。そしてフィロキセラの発症例が皆無なことから、やはり苗木はヨーロッパから直接持ち込まれたと考えるべきだと僕は思う。そしてこれらがCrljenak ではなく、ギブス大佐が云いだした「ブラック・ジンファンデル」という名前で呼ばれるようになった・・と考えるのが自然のように思えます。

いいなと思ったら応援しよう!

勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました