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俊才ジョルジュ・デュブッフ/beaujoLais nOuVEauに秘められたLOVE#17


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1951年。1937年以来続いていた国による流通管理体制が廃止され、ワインの販売は民間が自由にできるようになります。この日からワイン業界は、本格的な復興の時を迎えます。

しかしその廃止と重ねてフランス政府は、国内におけるワインの新酒販売を12月15日からにせよ、という規制を作りました。これは新酒供給の過当競争を防ぐためでした。自由に流通するようになれば、早いもの勝ちを狙った粗製ワインが市場に溢れかえるのが必至だったからです。政府は、フランス・ワインの品質と地位を守るために、この条例を作ったのです。

困ったのはボージョレー地区の農家でした。彼らは、国による流通管理下時代に、既にマセラシオン・カルボニック法を用いた優秀なボージョレー・ヌーボーを生み出して販売していたからです。新酒競争において、ボージョレーの農家は、既に一歩も二歩も先んじていたのです。ところが解禁日が12月15日では、マセラシオン・カルボニックでワインを作る意味が全くなくなってしまいます。宝の持ち腐れになってまう。

ボージョレーの組合は、フランス政府に猛烈なロビー活動を仕掛けます。その結果、特別にボージョレー地方だけ11月15日に出荷してよろしいというお墨付きが、漸く1967年になって出ます。そのロビー活動の中心にいたのが、俊才ジョルジュ・デュブッフ。34歳でした。


ジョルジュ・デュブッフGEORGES DUBOEUFは1933年4月14日、マコンの生まれです。彼の家はシャルドネを育てる小さな農家でした。父親は早く亡くなり、農場は彼の兄が仕切っていました。ジョルジュは成人すると、すぐに頭角を現し始めて、Ecrin Maconnais-Beaujolaisという45の農家を統括する長になりました。しかし若いリーダーは中々認められてもらえず、1964年に独立。LE VIN DUBOEUFを設立します。

このデュブッフの会社は、流通とアッサンプラージュassemblageをする会社でした。アッサンブラージュとは、色々な品種を組み合わせてワインを作ることです。ボルドーワインはこの典型で、カベルネ・ソーヴィニオン、メルロー、カベルネ・フランを混ぜて作ります。ジョルジュ・デュブッフがやったアッサンブラージュは、異なった品種のガメイ種を混ぜること。そして異なった農家から買った葡萄を混ぜること。この二つです。

ガメイ種は、セニョール・デュ・メがエルサレムから持ち帰った時代から、既に1000年近く経っていたので、品種改良の結果、幾つかの突然変異種が生まれておりました。これらは夫々違う風合いを持っていました。ジョルジュ・デュブッフは、これを混合させることでボージョレー・ワインに深みをもたらそうとしたのです。この方法は見事に成功しています。現在、ボージョレー地方にある農家が、何れもガメイ・ロンド種とガメイ・ジョフレ種を混栽して育て、これを混ぜて刈り取るようになったのは、彼の影響からです。


そして同時に彼は、自分が作ったワインを自分の手で運ぶ、独自の流通経路を確立しました。ボージョレー地方は、小さな農家ばかりの集落です。こうした小さな農家にとって、葡萄をまとめて買ってくれるブュップの会社は大歓迎だったのです。こうして彼は瞬く間に、ボージョレーで最も影響力を持つ男に伸し上がりました。


1967年。フランス政府から。他の生産地よりひと月早い販売の許可を得ると、ブュップは消費地(主にパリですが)に大攻勢をかけました。“Le Beaujolais Nouveau estarrive!”
“新しいボージョレーが到着しました!”というキャッチコピーを作り上げたのです。

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この宣伝文句がパリ中を飛び回った。新しもの好きなパリ市民は、これを好意的に受け入れました。

「認知されたものが売れる」「好意を得たものは、より一層売れる」「それが目の前に有れば、必ず売れる」このアメリカの広告業界が発見したルールを、ブュップは利用したのです。こんなローラー戦略でワインを売った者は、誰もいなかったので、余計鮮烈な印象をパリの人々に与えたのかもしれません。以後、ボージョレー・ヌーボーと広告は、切っても切れない関係になっていきました。


しかしそれでも、まだひとつ問題が残っていました。他の生産地よりひと月早い11月15日解禁は良かったのですが、そこはフランスです。その日が日曜だった場合、流通は全く動かなくなります。解禁日なのにワインがない!そんな事態になってしまうのです。これじゃ意味ない!生産者からもユーザーからも不満の声がヤマのように上がりました。そのため、デュップは弛まざるロビー活動を続けます。そして漸く1985年になって、新酒解禁日は11月の第三木曜日と制定され直したのです。以来、この解禁日は変わっていません。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました