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ボージョレーにはブリアール運河がある/beaujoLais nOuVEauに秘められたLOVE#10


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さて。これから先のワインの話をするには、中世フランスが、どう自国を統一するかという政策の中心に、農本位制を置いたことを頭の中に入れておかないと、話が見えてこなくなってしまいます。なので少しそんな話を。

牧畜と農耕はフランスを養う二つの乳房
フランス人は、現在でもよくこの言葉を使います。フランスが立農国家であることを指す言葉です。これを最初に言ったのはシュリー公爵マクシミリアン・ド・ベチューヌです。1600年代初めに、フランス国で大きな影響力を持った人物です。
当時フランスは、原則的に荘園制で、各地方に領主が群雄割拠しており、それぞれが自分の領地で全てを賄う・・云ってみれば現代で云うポピュリズム的な経済構造でした。
それを中央政府であるブルボン王朝が、①言語的統一➁道路の整備を実施することで、フランス国内のグローバル化(統一化)を目指しました。フランス統一は、そうした各地方の荘園を、経済圏・言語圏とも飲み込んでいくことで成されていったのです。
その中心にいた人物の一人がシェリー公です。
彼の大きな仕事は、各地方間の関税の撤廃。農夫を守る法律の整備。まだ未開のままで各地に残っていたガリアの森の開墾。そして道路の整備でした。シェリー公は「パクス・ブルボン(ブルボン朝による平和)」の中心に"農"を置いたのです。

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ブルゴーニュとボージョレーにとって、重要な彼が遺した仕事は、ブリアール運河の設営です。ブリアール運河はローヌ川とセーヌ河を繋ぐ運河です。1642年に完成しています。
当時、物流の手段の多くは河川によるものでした。
道路の整備はまだまだ進んでいなかったので、大量の物流は河川を利用して行われていました。つまり逆に言うと、河川の流れる経路によって、経済圏は否応なく分割されていたわけです。シェリー公はローヌ川とセーヌ河を繋ぐ運河を作ることで、この経済的な分断を解決しようとしました。その彼の仕事が、ボージョレーとブルゴーニュの農家に"パリ"という大きなマーケットを与えたのです。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました