une journée à paris03/パリ ブキニスト
最初にパリへ行き始めたのはドイツ/シュトゥットガルトの会社で働いていた頃だから、30年余りになる。
同社は金曜半ドンだったから、僕はよく土日を使ってパリの街を彷徨した。
その頃の定宿はサンドニ門の近くにあった曖昧宿や東駅の裏辺りのボロホテルで、モーパッサンの小説の中に出てきそうな所ばかりを選んでいたような気がする。まあ、こうなるとタダの趣味だね。
選ぶ基準は簡単で、ベッドが可能な限り清潔でバグ(虱)が居ないこと。出来れば隣の部屋から、客を連れ込んだ街娼の嬌声が駄々洩れしないこと。この二つだった。
何回も通っていると、この基準に合った宿は見つかるもンで、サンドニ門の近くで2軒/東駅の傍で2軒/そしてピガールの近くに2軒ほどの処を、その時の気分で使い分けていた。
その頃、足繁く通ったのはモンマルトル/クリニャンクールと市内の古本屋/古レコード屋。そのパリ巡礼の中に必ず入っていたのがセーヌ川(塞納河)のブキニストである。塞納河古書巡礼です。
ブキニストはサン・ルイからシテ島に面したセーヌ川沿いの欄干に乗せた緑色の屋台の古本屋のことである。「士別れて三日なれば、すなわちまさに刮目して相待つべし」というヤツで、僕は此処で何回も、まさに刮目すべき書に出会っている。
中でも一番鳥肌が立った出会いは「サボイ・ブック1954年版」だった。
ロンドンに有ったサボイ・ホテルのチーフバーテンダーだったハリー・クラドックが書いたカルテルのためのバイブルのような本だ。正統的なバーテンダーは必ずこの本を規範としてカクテルを作る。
僕はこの本の1954年版にポン・ヌフ橋の袂に有ったブキニストで出会った。20年ほど前だ。家内と二人で出かけた最初のParisのときである。
店前で暇そうに椅子に座ったまま煙草を燻らせていた親父に「I am looking for an unusual book on wine or whiskey」と聞いたら「うちは無いけどアッチの店なら有るよ(とおそらく言ってる)」と、何軒か先のブキニストへ連れて行ってくれた。へぇ、仲良くやってるんだと思った。
そこの親父が、奥から何冊か出してくれた中に、件の「The Savoy Cocktail Book 1954」が有ったのだ。かなり使い古されたほんだった。親父が「dommage」と言った。しかし手にとって開いてい見ると驚いた。日本語の書き込みが無数にあるのだ。小さな端整な文字だ。コメントと作った時の感想だった。そして裏側に「岩田」と判子が押してあった。
1954年版である。僕は鳥肌が立った。敗戦の後、よほどのことが無い限り日本人の渡航は認められなかった時代である。一般人が観光旅行で海外に出かけることが許されたのは1964年からである。
この使い込まれたサボイ・ブックは1954年版。・・ということは、少なくともその時代にパリでバーテンダーとして働いていた日本人が居たということだ。
僕はその本を手にしながら呆然としてしまった。
「どうしたの?」嫁さんが言った。
「見てごらん、日本語の書き込みだよ。」
「日本の方が持ってたの?」
「だな。版年を見てごらん。1954年だ。50年近く前だ。」
「ずいぶん使い込んでるから、きっと大事だったのね。」
「ん。そうだな、心と思いが込もってる。すごいね」
「買うんでしょ?」
「ん。もちろん。」
どういう経緯を辿って、この本はここに有るのだろうか?・・たとえば50年代60年代に20~30才だとすると、もう亡くなられているのだろうか?家族によって蔵書が処分されたのだろうか?この本を懐にして、どこのバーで働かれていたのだろう?
岩田・・という名前、彼を知る縁(よすが)は何も無い。
岩田さんはどんな人生を送られたのか? 僕は"生きる"という夢幻の走馬灯を垣間見たような気がした。