葛西城東まぼろし散歩#36/葛西葛飾なつ時雨#06
東京都の統計「外国人人口令和4年(1月1日)」を見ると、江戸川区にはいま外国人が約3万5000人暮らしている。そのうち、インド人は約5200人。多くは葛西地区へ集まっているが、江戸川区の「基本計画の概要・後期」を見ると小松川地区、東部地区が中心なようだ。
インド人がこの地区に集まる理由として、
①就業している会社に通いやすい。
➁街が新しいので地元民と摩擦が少ない
③インド人が多い
④インド人学校・インド人会・寺院がある
⑤家賃が比較的安くて済みやすい
➅旧公団住宅が多い(国籍を問わずに入居でき、礼金などのしきたりがない)
⑦荒川がガンジス川に似ている
⑧羽田空港・成田空港に近くて便利
などを・・NIKKEI STYLEの編集委員小林明氏が挙げている。
たしかに此処に住むインド系住民の大半がIT系で、都心に通いやすいということで東西線沿線を選ぶのかもしれない。じつは、江東区でもインド人は現在約2500人いる。・・世帯数で言うと5200/2か、5200/3ということだろう。
「西葛西は、ここまでインド人世帯が増えたのは世話人がいたからだ。」
しばらく待たされた後、席に着いた「エルトリート」でランチトリオファヒータをつっ突きながら話した。
「世話人?」
「チャグモハン・チャンドラニという人だ。この人が中心になって、この街はインド系の人々が増えたんだよ。江戸川インド人会の会長をされている方だ。彼の尽力なしで、葛西にこれほどの多数なインド人は集まらなかった」
「いつごろから?」
「2000年くらいから、らしい」
「私たちが日本にいなかったころ・・からね」
「ん。チャグモハン・チャンドラニさんは貿易商だった。早い時期から西葛西で暮らしていたんだそうだ。2000年問題でね、安価に使えるプログラマを求めた企業がインド系の技術者を契約社員で採用し始めたころ、チャンドラニさんが彼らの居住問題をボランティアで手伝ったところから始まったらしい」
「あぁ西海岸でよく聞く話ね。日本でもそうだったのね」
「ん。最初は単身。それが雇用が安定してくると、家族を呼ぶようになる。・・そのパターンだ。チャンドラニさんは貿易商だからね、彼らのためのインフラの獲得もきちんと手掛けた。学校や寺院の設立にも大きく力を添えたんだ。西葛西がリトルインディアになったのは、チャグモハン・チャンドラニさんのおかげだよ。駅前のUR団地だが、住居世帯は5000程度だが、そのうち1000はインド人家族だという資料もあったな」
「すごい数ね。アメリカだとエスニックシティって言われちゃうわね」
「そうだな。でも実は数で言うと中国人の方が多い。江戸川に暮らす外国人は、中国人・韓国人・フィリピン人だ。性別で言うと、インド系以外は圧倒的に女性が多い」
「就業している業種のせい?」
「おそらくそうだろう。だから・・例えば平井あたりがその典型だ。駅前に語学学校が乱立していて、中国人の姿を沢山見かける」
「仕事を求めて日本に来てるの?」
「まあ、仕事としてまともな給与が払えるほど日本が豊かなら、それもアリだがな・・一時はロシア系の女性も多かったが、いまは落ち着いているらしい。
だいぶ前だが、錦糸町へ出た時、仕事の帰りに丸井の下にあったスタバに寄ったんだ。そしたら中年のオッサンが金髪の白人女性を連れて歩いていた。女の人がたどたどしい日本語を話していてね。おおお、フィリピーナの次はロシアンバービーかと思ったよ。
ただ・・そういう人たちが日本に地元から家族を呼んでリトルシャンハイにしたり、リトルアシガバードを作ったりはしない。西葛西のリトルインディアは特殊なケースかもしれないな。・・比べるなら西海岸にアルデジアという街が有る。あれだな」
「しらないわ」
「オレンジ郡との境界地帯にあるアルテジアだ。Dairy Valleyだ。ここが西海岸ではリトルインディア化している。パイオニアストリートを歩くとホントにリトルインディアだよ。アルテジアはアナハイムのIT系の会社で働くインド系中華系IT技術者の街だ。・・西葛西はアソコに似ているのかもしれない。収入源が安定して高額所得者が多い」
「・・なるほどね」