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僕の青春/僕のベトナム戦争/マンハッタン

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2020年7月の記事一覧

a Day in the Manhattan22/1996NYCのトッグラン01

a Day in the Manhattan22/1996NYCのトッグラン01

犬を飼うニューヨーカーは多い。41丁目のチューダーシティのアパートに住んでた頃、よくエレベータの中で犬を連れた住人たちに出会った。それが巨大なセントバーナードだったり、アフガン・ハウンドだったり、クラシックなブルドックだったりする。
エレベータで出会う彼ら彼女は、実に躾けが良く行き届いていて見事なものだ。静かに主人の横へ座り、乗り合わせた他の人によけいな関心を示さない。まだ小さかったウチの娘どもが

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米軍キャンプ回りの青春06/ピーとパー子の夫婦善哉#01

米軍キャンプ回りの青春06/ピーとパー子の夫婦善哉#01

門前仲町のお縁日は月に3回、1日15日28日である。今はあまり元気じゃなくなったけれど、僕の子供の頃は通れないほどの混みようだった。小さい時は、よく母か叔母に連れられて、このお縁日のときにお参りへ出た。
お縁日の時は、道路沿いに沢山の露天商が出る。僕のお目当ては、いつだってコレで、ベビーカステラや駄菓子が、買ってもらうものの定番だった。
以前に書いたことがあるけど、ヒヨコにスプレーしたカラーヒヨコ

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米軍キャンプ回りの青春07/ピーとパー子の夫婦善哉#02

米軍キャンプ回りの青春07/ピーとパー子の夫婦善哉#02

1975年4月30日、サイゴンが落ちた日。僕は隣の国タイランド/ウ・タパオの米軍基地に居た。23才だった。
宿舎を出て滑走路に立つと、上空は轟音と共に不気味な黒い鳥たちが舞っていた。無数のヘリコプターである。その黒い怪鳥は、サイゴンからの難民を運んでいた。そして彼らを降ろすと、すぐにまた飛び立っていく。ベトナムへ・・2日間で3万人の人々を運んだという。
国の独立と尊厳を守るために立ち上がったべトコ

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a Day in the Manhattan23/1996NYCのトッグラン02

a Day in the Manhattan23/1996NYCのトッグラン02

こうして彼の手元には、ゴールデン・レトリバーと傷心だけが残った。そしていつの間にかそのゴールデン・レトリバーについて語るのは、仲間うちでタブーになってしまった。
半年ほど経ったある日。僕の仕事を手伝ってくれている最中に、ケヴィンが唐突に言いだした。
「ねえ、ドックランって知ってるかい?」
「ああ。あのワシントン公園にあるアレだろ。」
「うん。行ったことあるかい?」
「残念ながら、うちのペット2匹は

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米軍キャンプ回りの青春/ホーチミンと言う名のサイゴン

米軍キャンプ回りの青春/ホーチミンと言う名のサイゴン

ベトナムを遠く離れたはずなのに、それを背負ったままの青春だったように思う。サイゴンが陥ちたのが1975年4月30日だったから、僕は23歳。その年の夏に僕は東京に戻っていた。
僕は、六本木の暗闇坂を下りる手前にあったクラブで、ピアノを弾いていた。大学はほとんど行かなくなっていた。伸びたラーメンの麺みたいな奴らに混ざって勉強する気が、どうしてもしなかったからだ。その頃は、まだうちの大学も学生運動の余燼

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a Day in the Manhattan#21/1994いざりのジョー

a Day in the Manhattan#21/1994いざりのジョー

前に「ちびのジョー」の話を書いたので、そのまま「Crippily Joe」の話も書きたい。Crippily Joeは黒人のホームレスだ。彼は両脚が無い。木製の手作りの車椅子に乗っている。上半身は筋肉隆々で黒光りしており、眼光鋭い。30代半ばだろうか。ベトナムで両脚を失ったという人もいたが、実際のところは誰も知らなかった。
彼はいつも地下鉄6か1で物乞いをしていた。器用に地下鉄に乗ってくると、黙って

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a Day in the Manhattan#20/1983スミス氏との賭け

a Day in the Manhattan#20/1983スミス氏との賭け

ニューヨークに独りで暮らしていた頃に、スミス氏と僕たちがした賭けの話をしたいと思う。あらかじめ言っておくが「スミス氏」の本当の名前は知らない。みんながスミス氏と呼んでいただけだ。
その頃、僕は14丁目の外れチェルシー・トライアングルのすぐそばの老朽アパートに住んでいた。インド人のスーパーが幾つも並んで、店前で「チェーキン!チェーキン!」と連呼していた頃の14丁目の通りだ。いまの、それなりに綺麗にな

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a Day in the Manhattan#19/我が街、アッパー・ウエスト・サイド

a Day in the Manhattan#19/我が街、アッパー・ウエスト・サイド

我が街、アッパー・ウエスト・サイドは、この40年間で最も大変遷を遂げたところだと思う。僕が最初に出会ったコロンバス・アベニュー、アムステルダム・アベニューはジャンキーやソシエ・パスがうろうろする荒廃しきった通りだった。
映画「Warriors」でストリート・ギャングたちの大集会が描かれるが、あの撮影をしたのもこの辺りだ。
https://www.youtube.com/watch?v=ribNkw

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