米軍キャンプ回りの青春07/ピーとパー子の夫婦善哉#02
1975年4月30日、サイゴンが落ちた日。僕は隣の国タイランド/ウ・タパオの米軍基地に居た。23才だった。
宿舎を出て滑走路に立つと、上空は轟音と共に不気味な黒い鳥たちが舞っていた。無数のヘリコプターである。その黒い怪鳥は、サイゴンからの難民を運んでいた。そして彼らを降ろすと、すぐにまた飛び立っていく。ベトナムへ・・2日間で3万人の人々を運んだという。
国の独立と尊厳を守るために立ち上がったべトコンは、貧しい武器しかなかったはずなのに、ハノイから侵攻してきたコンサンたちは、最新鋭の武器を手にして最新鋭の戦車に乗ってやってきたのだ。
「我々は、1人が1人の命を賭けて侵略者を倒せば良いのだ。そうすれば必ずサイゴンは守れる!」壇上から叫んで群衆から喝采を浴びたグエン・カオキは、その直後、米軍のヘリコプターに乗って遁走した。街は混乱に陥っていた。...
米軍は、南からの侵入者による大虐殺を防ぐために、持てる機動力の全てを使って、親米だった人々を国外へ逃したのだ。この遁走劇の中でも、事故で多数の人々が死んだ。難民も米兵も。。それを語る人は少ない。この遁走劇そのものを語る人も少ない。まだ40年しか経っていないというのに。
僕は5月の半ばに横田基地に戻った。篠突く雨だった。支給の雨合羽を着ていた。その雨合羽を通して感じる雨の温度が、日本へ戻ったことを教えてくれていた。ゲートを出ると、マネージャーの三舟さんが車で迎えに来ていた。僕が乗ると「あいよ。お疲れさん」とタバコを出してくれた。ジタンだった。「お前は、コレだったよな」三舟さんは笑いながら言った。僕は突然嗚咽しそうになった。そんな僕を諫めるように、畳みかけて三舟さんが言った。「どうする?どこ行く?」「・・銀座、行きたいです」僕は言った。
「はは、そう言うと思った。あいよ。健二さんとこまで送るワ。」
土橋の路地裏に、親子でやっているPianoBarが有った。OLD PALという。オヤジさんは、RAAが銀座でやっていた米兵相手の店出身で、そのせいか銀座には珍しい米兵が集まる店だった。キャンプ回りのバンドのマネージャーだった三舟さんは、ここの常連だった。僕もよく連れられて飲みに行った。
その夜。僕はしこたま飲んだ。
「タマにはピアノ弾くか・・」三舟さんが、店の端にあるピアノの前に座った。
ソニー・ロリンズのOldPalだった。逝ってしまった旧い友へのレクイエムだ。まるで雨だれのように三舟さんは弾いた。
夜。共に痛飲した友が翌日戦場へ行き、戻ってこない。そんなことが戦場では何度も何度も続く。何度も何度も・・銃後で彼らを待つだけのバンド家業に、僕はボロボロになっていた。心は荒む。逝ってしまった友らは、きっと痛かったろう、悔しかったろう。そう思うと、居ても立っても居られない。そんな日々だった。それが戦争だというのは簡単だ。でもそれは人の道ではない。悪鬼の道だ。
三舟さんが僕に合図した。代わりに後を弾けという合図だ。僕は立ち上がって、三舟さんの横に座った。そして旋律を受け取った。
何人もの友達が逝ってしまった。そして戦いは終わった。
僕はアドリブからテーマに戻らず、そのままWhat a wondaful Wordを弾いた。涙がピアノの鍵盤の上に落ちた。それでも世界は美しい。・・国破山在 城春草木深。
「どうする?どこか送るか?」最後まで付き合ってくれた三舟さんが言った。
「大丈夫です。歩いて帰ります。」
「勝どきのオフクロさんのとこか?」
「・・はい。」
「そりゃ良い。その方が良い。」三舟さんが僕の肩を叩いた。
店を出ると、雨は止んでいた。
土橋のOLD PALを出て露地を抜けて並木通りへ出た。両側にネオンが煌々と並ぶ。まだ店が掃けるには時間がある。黒服たちが街角に立ち酔客を物色していた。埃っぽいサイゴンの飲み屋街と、やってることは同じだ。でも銃声も爆裂音への恐れもない。欲と痴情と下心が渦巻いているだけの通りだ。僕を無視する黒服たちの横を抜けて、晴海通りを右に曲がった。晴海通りに呼び込みはいない。そして歌舞伎座の前を通って勝どき橋を渡った。
母が店を構える飲み屋横丁は、橋のたもとに有った。横丁に入ると、母が店の外で店仕舞いをしていた。のっそりと現れた僕に、母は飛び上がるように驚いた。
「あらま!アルが還ってきたのかと思ったわよ!」
アルバートは父の名前だ。父はGIだった。米軍官製の雨合羽に編み上靴。そして官製のワンショルダーのバックを下げた僕を見て、母は一瞬昔に戻ったような錯覚をし...たらしい。
「早く2階にお上がり。パジャマに着替えるのよ。お腹は?」畳みかけるように母が言った。僕が何処で何をしていたか、聞かないつもりなことはすぐに判った。母は僕が言いたくないことは、聞かない人だ。
母には碌に大学にもいかずに、米軍のキャンプ回りをしていることは言ってなかった。
「なんか欲しい。」僕が言うと、母は大きく頷くとすぐに店の中へ入った。
僕はそのまま店の2階に上がった。店の2階は二間しかない。一間は僕の部屋だ。しばらくぶりに戻っても、部屋は何も変わっていなかった。きれいに掃除はされているが、机の上に読みっぱなしのままになっている本さえ、そのままになっていた。そしてその横に鳥籠が有った。
ピーちゃんとパー子がいる。老いた二羽が止まり木ではなく、揃って止まり木の横の皿状の巣に居ることは母から聞いていた。
僕は二羽を見つめながら着替えをした。
そんな僕に気が付いたのか、ピーちゃんが続けざまに鳴いた。出して!出しての合図だ。僕は塵籠の中に掌を入れた。ピーちゃんがそれに乗った。パー子はチラリと見ただけで、目をつぶってしまった。ピーちゃんは僕の掌から机の上に移ると、大儀そうに歩いた。そして僕が放り出していた本を突いた。僕は一枚だけティシュを出して、ピーちゃんの傍に置いてあげた。ピーちゃんはそれを咥えていつものように遊んだ。動きは緩慢だった。
僕は、そのまま荷物を解いた。バックの中には大したものは入っていない。下着類といつも持ち歩いていたヴィトゲンシュタインの「論考」を出して、洗濯物は籠へ、本は本棚に置いた。遠くで酔客の歌声がしていた。
と。ピーちゃんをみると。ピーちゃんはティシュを咥えたまま動きを止めていた。「ピーちゃん」声をかけても動かない。
僕はビックリして階下の母に声をかけた。
「オフクロ!ピーちゃんが動かなくなったよ!」
オフクロは、階下から本マグロの中落ちを山のように乗せた丼とお茶を持って上がってきた。そしてそれを卓袱台の上に置くと、ピーちゃんを両手で包み込んだ。
「そうかい、ピーちゃん。よかったね。最後の夜は兄ちゃんに籠から出してもらったんだねぇ。アタシだったら気が付かなかったよねぇ。よかったねぇ、兄ちゃんが間に合って。」母は優しく語りかけるようにピーちゃんに言った。
「でもね、明日の朝まではパー子のそばに居ておやり。パー子がさびしくないようにね。」母はそう言いながらピーちゃんを鳥籠の中へ、パー子の横に置いた。パー子は、何回かピーちゃんを突っついた後、そのまま目をつむっておとなしくなった。
そして翌朝。鳥籠の中を見ると。パー子も亡くなっていた。母はホロホロと泣いた。
そして僕は母と二人で裏の花壇に、ピーちゃんとパー子を埋めた。猫や犬に掘り返されないように深い穴を掘って埋めた。
「10何年も私たちと居たんだからね。これからも傍に居たいだろうからね。」母が二羽をそっと僕が掘った穴の中に収めながら、ポツリと言った。
不思議な二羽の夫婦関係だった。ピーちゃんは存分に飛び回り、そして籠の外で一人きりで逝った。そんなピーちゃんの死に重なるように命の灯を消したパー子のこと。僕は考えてしまった。パー子は幸せだったンだろうか。