猫田による猫田のための、意志疎通。
日本語がへたくそです。
私が話すへたくそな日本語は、
聞き手の優しさによって、
すり合わせて何とか形になって、
やっと理解されるようになる。
なので普段私が話をして、
問題なくやり取りができる、
そんなやさしい皆々様には、
感謝しなければならない。
同時に申し訳なく思えてくる。
私の日本語取扱技能が低いばかりに。
もういっそ言語なんかに頼らずに、
テレパシーで意思疎通を図りたい。
言葉にせずとも伝わってほしい。
…しかしテレパシーって本当に、
言葉にしなくてもなんでも伝わる、
最強意思疎通ツールなのだろうか。
私は日本語がへたくそだけど、
それはつまり自分が思っていることを、
私たちの共通言語である日本語に
直すのがへたくそってこと。
私がなんとなく想像しているテレパシーは、
「自分が思っていること」の部分を、
日本語に置き換えることなく、
ひとに渡すってことなんだと思う。
それって果たして本当に、
意思疎通出来るのだろうか。
「自分が思っていること」その体系は、
全人類の間で共有されているのか。
思っていることをそっくりそのまま、
ひとの頭に送り込んだところで、
解読できるのか。
私の脳はPNG形式で保存されていて、
誰かの脳はword形式だったら、
いったいどうするつもりなのだろう。
1秒で2文字しか解読できない頭に、
毎秒100文字送り込んだとしたら、
許容オーバーになるにきまっている。
私たちがテレパシーを使えたところで、
何かしら共通言語にしばられる。
意志疎通を図る時点で、
避けようのないことなのです。
だからつまり、
共通言語を尽くすしかないってことです。
ひとの優しさに助けられながら、
へたくそな日本語を今日も選ぼう。