子どもに怒鳴っていいことなんて1つもないけれど
「泣けばいいと思ってるだろ!!!」
うちの子どもたちが児童館のすべり台に向かったその瞬間、先にいたママさんが子どもを何やら怒鳴って(聞き取れなかった)、驚いて泣いたように見えたその子に、そう言った。
わたしも、子どもたちも、びっくりして立ち止まり、2人の様子をただ見つめるしかなかった。
そのママさんは、引きずるように子どもを自転車に乗せて、移動しながらも聞き取れないけど怒鳴っていて、その間ずっとその子は泣いていて、わたしは何もできなかった。
声をかけない。たぶんそれが正解だ。
その人がどんな人かもわからないし、声をかけたところで、火に油をそそぐことになるかもしれない。とにかくスルーするのが正解なんだけど、ずっと引っかかっている。
子どもを産んでから常々、見えた部分だけで人を判断するのは良くないと思っている。
怒鳴ったママさんは、子どもに30分以上付き合っていたかもしれない。〇時までに帰ろうね。それが終わったら帰ろうね。約束して、何度も約束して、わたし達が来てもなお遊ぼうとした子どもに、我慢ならなかったかもしれない。
怒鳴る。怒鳴る、かぁ…
それでふと思い出した。わたしも何度か、子どもに怒鳴ったことがある。
娘が2~3歳の頃、イヤイヤがすごくて、癇癪もあって、毎朝服を着替えるのから拒否されて(ずっとパジャマにしときゃよかった笑) オムツだけで過ごされて風邪をひかれたり…いつ終わるかわからない毎日のそういう事に、わたしの感情の逃げ場がなかった。
夫や親に預かってもらおうにも、わたしが離れるだけで吐くまで泣き喚き、一緒にいたらいたで全て「イヤ!」せめて一緒にいるならイヤと言わないでほしい…今となっては、それでも預けりゃよかったと思うけど、預け先がお手上げ状態なのだから仕方がない。物理的に離れることができなかった。
もういっぱいいっぱいだった。怒鳴ったって、意味ないことはわかっている。それでも、怒鳴るしかできなかった。本当は叩きそうになったことだってある。でもそれはできない。だから怒鳴るしかない。
この頃の記憶は、たぶんツラすぎて脳内で薄れていきつつあるのだけど、常に夫にガルガルしていたし、思い出そうとすると、心がぎゅっとなる。産後鬱とか、そういう状態だったと思う。
もしかしたら、あのママさんも、そんな状態だったかもしれない。
夜泣きで寝不足が続くと、わたしはもうそれだけでしんどかった。寝不足だと、些細なことでも怒りスイッチが入りやすくなると思う。泣いていた子も心配だったけど、それ以上にママさんのことが心配で仕方なくなった。
と、勝手な想像で心配して、我ながらキモイよな…そのママさんからしたら、大きなお世話というものである。それに、何ができるってわけじゃない。もしかしたら、見えた部分がすべてかもしれない。そしたら違う方向で心配になる。
戦っているのだ、みんな。
その親子の様子をずっと見ていて悲しくなってしまった娘と、僕も怒られた気がしている息子を安心させて、一緒にすべり台で遊んで帰ってきた。日が落ちるのが早いと、帰る口実ができてありがたいなぁ。なんて思いながら。