【7/5】名古屋まつり郷土英傑行列コースを毎日歩く 『三億円事件』(一橋文哉)
7月5日のウォーキングコース
若宮大通(17:58)~大津通北上~栄交差点~伏見~納屋橋~笹島交差点~名古屋駅ミッドランドスクウェア前(18:38)
昨日も暑かったですね。用事を済ませて夕方自分の部屋にいましたが、エアコンをケチって(!)使わずにいたら、頭が痛くなってやむなくロキソニンを飲みました。これってもしかしたら熱中症の始まりだったかも?と思うと怖くなって、夜も無理せずにエアコンをかけて寝ることにしました。電気代がかかるけどやむを得ないよね(苦笑)。
先日『水の肌』に収録された短編「小説三億円事件」(松本清張)を読んで、また「三億円事件」を振り返ってみたくなりました。そこで以前読んだこの本を取り出したわけです。
この本で事件当初の詳細や捜査状況がよくわかりました。事件現場(府中刑務所横)は意外と人通りが多くて目撃者がたくさんいたこと(通行車両にトラックや自衛隊車両があったり、府中刑務所の監視塔刑務官もいた)や、偽白バイで現われたときになぜか軽自動車用のシートカバーを引きずっていたこと(現金輸送の行員は一瞬それを不審に思ったらしい)、現金輸送車を強奪されたと思ってなくて、しばらく待ってても帰ってこないので初めて気づいた(!)とかいろいろあったんですね。なので当然非常配備も遅くなるし、車を乗り換えて逃走することも想定していなかったのでまんまと逃げきられてしまったわけです。
極めつけは、捜査一課の平塚八兵衛(当時警部補に昇進してました)が自分のカンと思い込みで捜査方針を変えてしまったことが決定的でした。捜査途上で複数犯による犯行が予想されてたのを一存で単独犯による犯行に方針転換したため、捜査陣は相当混乱したんじゃないでしょうか。たしかに『吉展ちゃん誘拐事件』などを解決した手腕は素晴らしいのですが、その実績ゆえ、定年間近でもあって誰も反論できなかったようです。
松本清張の「小説三億円事件」では直接名指しはしていませんでしたが、捜査方針の転換が迷宮入りを促したことは認めてました。
で、事件については、清張は「米軍基地(事実上治外法権)に金を隠した」と推理してました。この本でも同様の見解でした。たしかに野山に埋めるより発覚の危険性は少ないでしょう。結末については、清張は「事件後自殺した少年」と推理していましたが、この本では独自の調査で、米軍基地に出入りしていた複数犯による犯罪と看破していました。実際、本の後半では作者がアメリカまで本人を探しに行ってインタビュー(尋問?)まで試みてました。これが本当かどうかは読者でも見解が分かれています。
他に一番驚いたのは、現金のジュラルミンケースには一万円札が山積みになってたのを想像しますが、実際にはボーナスなので一人一人分が封筒に入ったものが社員の数だけあったこと(その合計が2億9千430万7500円だったわけです)、その袋詰めを銀行が前日に人海戦術で行っていたこと(!)でした。昔は給料やボーナスは封筒に現金で入っていたとは聞きますが、大変だったろうなあ(銀行が)・・その輸送も銀行の車で行ってたわけですから。この事件の後、給与は現金支給でなく銀行振り込みになり、現金輸送は銀行が行うのではなく、日本通運とかセコム、ALSOKが行うようになって現在に至ります。