夏が好きな理由
暑い。
自転車を漕ぐ腕に太陽の熱が刺すと、
運動会の練習を思い出す。
今の私の言葉で言うと「正気か?」という気分。
日陰ひとつないグランドにしゃがみ、
顔と腕と、足まできれいに焦げ色になるのを諦めて座る。
説明ばかり聞いて座っている、退屈な時間は長い。
22歳の私から見ても、あの時の先生の話が退屈に思えるのは仕方がないことだ。
あついという気持ちと言葉に頭が支配される。
直接熱が伝わってくる練習の時間。
もう日向にはいないのに、体に残っている太陽の元気な熱。
練習が終わった教室で鼻にむっと上がってくる、熟した汗の臭い。
そのどれもが鬱陶しくて、好きではなかった。
だからこれまで好きな季節を聞かれたら、
無難に「春か秋。ちょうどいいから。」と
それを求められていたかのごとく当然に返していた。
今日、すがすがしい思いでこの夏の幕開けを賞味する私は、グランド上空からそんな13歳の少女を涼しげに観察する。
微笑ましい、とか言ったら、少女は本気で怒り出しそうだ。
今の私は、夏が好き。
何にせよ、日が長い。
私は花か何かなのか、日が長いと元気になる。
気分が明るいまま夜を迎え、1日を閉じられる。
昼は何かしようと、やけに活動的になれる。
やっぱり、私は花か何かなのかもしれない。夏の私は気持ちも心も元気だから、1日に考えることも増えてしまう。
今日は日が長い夏の始まり。
私は自転車を漕ぎながら、バイトまで1時間、待機するか、一旦帰るか・・・という脳内会議の折、変わりゆく季節の姿に動揺していた。
7月とはいえまだ1週目の今日は、梅雨の名残が惜しいほど晴れている。紫陽花は寂しく色褪せているけど、「枯れている」というのは悔しくて、目を逸らし通り過ぎる。梅雨が終わってしまう。
低気圧には弱くて、頭がいたくなる雨の日々が大好きなわけではない。それでも、梅雨を惜しまずにはいられない。
梅雨の最中にある、1年で最も日の長い日が好きなんだ。夏至が。
夏至があるおかげで梅雨時は、力のみなぎる夏の予感がする。
夏至がすぎ、梅雨も去りゆく今日、
切なさはピークに達する。夜が伸びていく。
来ては去っていく季節に、今日もまた畏怖する。
どうにもならないのに、去っていくのはこわい。
また来年くるよ、と言われてもこわい。
ずっと元気で明るいこの季節が、ここにいたらいいとさえ思う。
そんな気持ちで家の近くを通るものだから、すべての景色が愛おしく見えてきてしまった。
20代。近所の家の壁とコンビニと、この道のうねりと、通りすがる小学生たちの汗でてかる額も、今日限りの限定品。
夏、この日にしか手に入らない気持ちを
自転車のハンドルを握る手で、同時に抱きしめたくなった。
かなしい。
いつかこの日の感情を思い出して、切なくなる日が来ることを憂えて、私は悲しくなる。
おじいちゃんの待つ家に一旦帰る。グラスに控えめに氷を入れ、
ボトルにいっぱいつくられたお茶を注ぐ。氷がパキパキ割れる音にまたかなしくなって、この気持ちを文字にしておこうと思い立った。いったんお茶を喉へ流し込んだら、急いでパソコンを開く。家を出るまで、40分。
でもそんな、心が豊かに揺れる夏が、
やっぱり好きで仕方がない。
白夜のある国へ行ってみたい。
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