大司教、聖堂内にて暗殺される
時は12世紀、トマス・ベケットは、イングランド王ヘンリー二世に重用され、息子の家庭教師を任せるほど信頼されていました。
当時、ヘンリー二世は教会の支配を目論み、難しい調整をうまくこなすことを期待して、ベケットをカンタベリー大司教の座に推挙しました。
だが、ベケットは王の希望を叶えることはおろか、その信頼も失われることを予測していたと言います。
カンタベリー大司教となったベケットはその後、教会の守護者の立場を取り、王と対立するようになります。
1164年、ヘンリー二世はベケットを国外追放に処します。しかし、1170年両者の間に和睦が成立し、ベケットは再び大司教としての活動を再開しました。
ところが、ベケットが親国王派の司教を解任したと聞くと、ヘンリー二世は激怒し、家臣に向かってベケットへの恨み言を並べたてました。
これを国王がベケットの死を望んでいると考えた4人の騎士は、すぐさまカンタベリー大聖堂へ向かいます。
そして、彼らは礼拝室にいたベケットを剣で貫いたのです。
この事件により、トマス・ベケットは列聖され、カンタベリー巡礼が盛んに行われるようになりました。