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書けん日記:43 【再生】高速音読のすゝめ【奪回】

10月。もはや、あれから二ヶ月近くにもなってしまう。
その10月の半ばに、不肖は体調を崩して臥せってしまいまして――
「あっこれまたコロナか? これで三回目かマジか」と。
おなじみ、流感の症状。発熱、咳、そして体中の痛みにのたうって……一週間ほど。
もしやこれ、コロナじゃなくて最近流行りのマイコプラズマ肺炎かな? とか思いつつも、対処法がないのはコロナと同じ。臥せって苦悶に耐えるしか無い日々。そして……。
それが過ぎ去ってくれても、なお。

体力、気力を削られ、どうしても気がふさぎ込みがちで。しかも野良仕事に出るあてもないまま、家にいるしか無いという有り様で。
ならば――
こうしてパソコン、キーボードに向かい、テキストお仕事をすればよかろうもん、とはわかっていても。
一度、臥せってしまうと。10日ほど、何もできないでいると、再起動するのにも一苦労。

椅子に座っていても、あぐらをかいていても空咳が出て、肺が痛んで気が散って……薬を飲んだり、白湯で体を温めているうちに、気づけば夕刻、そして夜……という無為無産の日で、時間を浪費してしまって。
そして、ある日。

そんな有り様の不肖を見かねてくださったT氏が
T氏「高速音読なる話題を見つけた。ADHD、発達のアレとか注意のアレとか、コロナの後遺症のブレインフォグ、それらにも効果があるらしいぞ」
不肖「ぜんぶ、今の私に当てはまるじゃないですかやだーーー」
不肖「なるほど、高速の、音読。ただ読み上げるだけじゃなくて、ある程度の速さと発声で本を読み上げることで、脳と発生期間、肺をシンクロさせて活発化、活性化させるという……」
T氏「どうせ何もできずにグダっているだけなら、手元にくさるほどある本でも読み上げてみたらどうだ。今まで自分のやった仕事のテキスト、読んでみても面白いかもな」
不肖「なるほど。しかし、音読とは。小学校の国語の授業かな」
……と。

これまでも、あまりに仕事が進まず周りに迷惑をかけてばかりだった不肖を見かねて、T氏はいろいろなリハビリ、新しいワークメモリのアドバイスなどをしてくださってはいたのですが――
今回の「高速音読」。
やることはあまりにも単純で。されど、経験者の談をネットで見てみると、意外と手強い高速音読、最初は嫌になるくらい読めないけど、習慣化できると最強、なる論がいくつも目に入り。
――よっしゃ、と。
流感からなんとか復帰し、万年床だった布団を片付けて散らばっていた本もまとめた6畳間で……まずは手近な本を手にとって、音読を。高速音読、開始。

使っていなかった部屋の片付けもしつつ 周囲に迷惑のかからない朗読部屋に

手元の本のページを開き、1行目の文字を目で追い、それを口で、喉で、肺で読み上げて追う、だけ。
…………だけ。……が。

――鬱だ死のう。
と。2000年代のネットスラングが、思わず口をついて出ました。
読めない。発声が、まともにできない。文字を、声で追えていない。否、目でも追えていない。
ちょろいと思っていた音読、小学校の国語の授業かな、と思っていた音読。

――それが。
いざ、それなりの声量を出して、それなりの速さで読もうとすると……出来ない。
音読せず、普通に読むだけなら読めていたはずの本、その行の活字が……読めない。
声に出そうとしただけで、活字を追う目と、声帯、肺のシンクロが出来ていないのを自覚してしまう。
そして……。

「あっ」 と、気づいてしまう。
自分は、この不肖は――本を、テキストを読むときに。
活字を流し読み、悪い意味で日本語のテキスト、活字に慣れていたせいか……活字の並びに目をすべらせ、8割、否、5割ほどの情報を脳に流し込んで、それで。
「読んだ気になっていたのでは!?」 と、気づいてしまい愕然とする。

……それゆえに。
音読、声に出して読むと――すべての活字を正確に追う必要があるため、活字を、行を流し読みしていた目の怠業サボタージュが告発される、目と脳が、正確な情報を声帯に送れないまま。
さらに声帯と肺も、声に出して読む、という行為の重さ、負荷の大きさにヘタれていたのを思い知る。
……わからされてしまった。
ある程度の速さ、声量で本を読むには、肺と声帯がまっとうに動く、人との会話以上のカロリー、演説を一席ぶちかますくらいの熱量が、そして功夫クンフーが要求されると。
……いろいろ、思い知って。

……自分は、本すらもうまともに読めないのかと。

秋の午後の要項が差し込む6畳間で、不肖は愕然とする。絶望する。
もう何十年も同じ時を過ごした本たちを、故郷のここ三河から東京へももっていき、そしてまた持ち帰った同胞、占有、伴侶のような本たちを投げ捨ててしまいそうになる。
――だが。
数十年の時を共に過ごし、ともにいきてきた本たちは、やさしい。
最初は、好きな小説、資料の学術書を読もうとして――この不肖は挫折した。
……だが。
ならば、と。
私の意思、というより、雑多に散らばっていた本の上の方にあった本が、私を呼んでくれた。

詩集の棚から選抜された、二冊

小説、学術書のテキストの重圧に今の私は耐えられない。ならば、と。
詩集が。何冊もある詩集のうち、共に過ごした時間が長いこの2冊が……今度も、私の手指に抱かれてくれる。しとねのようなページを開いてくれる。
文字数こそ少ないが、そこに秘められた物語、想いは一冊の本にも勝るほどの力を秘めたウタが、私の目に流れ込んで、流れ込んで。
それをいくたびか、繰り返させてから。声帯と肺を、その後に続かせる。

ルバイヤート 「解き得ぬ謎」の章 (13)
 この道を歩んでいった人たちは、ねえ酒姫サーキィ
 もうあの誇らしい地のふところに臥したよ。
 酒をのんで、おれの言うことをききたまえ――
  あの人たちの言ったことはただの風だよ。

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……音読しようとすると、何度も目が滑る、唇がもたつく、喉が詰まる。
情けない。だが、それを何度も続けると。
一節の詩くらいなら、なんとか吟じて、朗読できるようになってくる。
そうやって、ルバイヤートの詩を読み上げて。
……だが、数ページ、10の詩も読み上げないうちに、慣れていない不肖の喉とはい、そして脳の一部は疲労困憊して、それ以上、続けられなくなってしまう。

だが。
満足だった、少なくとも数十年、私が口ずさんできた詩は、このときも私とともにあってくれた。
そして、少し休んで今度は。
ヘッセの詩集を、読み上げてみる。

若い頃は、正直「これだからドイツの〇〇は〇〇〇でピー」だわい、と。偏見すらもっていた作者、そしてその作品群の中の詩集だが。
黄昏に、夕闇に踏み込み始めた、老いた私にこの詩集は……しみる。
そして、お気に入りの詩をいくつも、読み上げる。
誰に聞かせるでもない、夕日が差し込んで古畳が香る6畳間で私は読み上げる。疲れきるまで。
時間にして2時間から3時間ほど。それを一日に、一回。

そんなことを、三日ほど続けると――

ずっと空咳で痛み、息をするのも、横になるのも億劫だった肺と声帯からも、それなりの声が出るようになってきて。
そして――頭の奥、というか。今では明確にわかる、脳の一部が。
いわゆる、前頭葉。額の奥、眼球と内耳の奥にある脳の一部に、頭痛めいた違和感が出てくる。
最初は、風邪がぶり返したか、と思ったが……違う。
高速音読を続け、四行詩くらいだったら読み上げられるようになってきたあたりで、脳のそのあたりがあきらかに、再起動しているのを感じていた。
――おチャクラ全開、新しい能力と世界が開眼! とは違う。

これは……以前、普通に使っていた、全開にしてぶん回していた領域。
そこが、いつしか錆びついて、垢がこびりつき苔むして、泥沼の奥に沈殿していた。
そこが――再び、動き出した感覚が……あった。
古い水路、泥と落ち葉が堆積していたそこをどぶさらいして「ごみ」を取り除き、本来流れるべきだった奔流で洗い流して開通させた。そんな感覚。心地よい頭痛めいた、その感覚。

これは、いける。
ルバイヤートを音読しきったあたりで、最初に挫折していた本立ち、小説、学術書たちを吟味し始める。
高速音読で調べて、いろいろ参考にさせて頂いた先達の方々の論だと、音読する本は好きな本、興味のある本が良いと、効果が出やすいとあった。
ならば、と――

私と長い旅を共にしてきてくれた本たちから、二冊

まったくジャンル違いの、お気に入り二冊。
片方は、説明不要の「ヘミングウェイ短編集」。
もう片方は、不肖の敬愛する光瀬龍先生の傑作SF「猫柳ヨウレの冒険 激闘編」。
これを――音読してみる。
……最初は、やはりもたついた。
本の一ページには、これほどの情報が詰め込まれているのか、と。声に出して呼んでみると、あらためて驚愕する。
そして、最初はゆっくり。読み上げられたら、勢いをつけて、早く、声を大きくしてゆく。

……できた――
ヘミングウェイの短編、その一つを読み上げるだけで一時間ほどの時間が過ぎている。そして、肺も声帯も、脳も疲労困憊している。
その疲労感の中で――例の、脳の奥が。惰眠から叩き起こされた回路が、大量の血液を、酸素と糖を欲して頭痛めいた疼きで脈打っているのを感じる。

まずは短編集の中の「心が二つある大きな川」(一)と(二)。
これも、若い頃から何度呼んだかわからない大好きな短編、私のアウトドア趣味の火元で有り続けた作品。主人公ニックが、ミシガン州の山河でソロキャンするだけのお話なのだが。
この作品、登場人物がニックだけ。そのせいで、ほとんどセリフがない。ほぼ地の文だけで描写される大自然、そこを進む一人の男、という文体を。
人類の至宝とも言える微分、食事のシーン、釣りのシーンを音読する。

そのあとは「挫けぬ男」などの、登場人物たちの会話、セリフがやり取りされる短編を読む。
そうすると――
随筆のような、会話、セリフのない「心が二つある大きな川」と、会話がふんだんにある「挫けぬ男」「雨の中の猫」は、読み上げるときに、脳の別の部分が使われているのを感じ取ることができる。
文章の中の、会話、セリフ。それは――
人類が獲得してきた文字、言語、会話というカテゴリ、脳の領域の中で。言葉、会話、セリフというやつは、その中でもいちばんの最奥、もっとも根源的な部分にある土台なのかな、とも感じる。

……調子が出てきた。ヘミングウェイをあるていど、読んだら。

「猫柳ヨウレの冒険 激闘編」。
こちらは、猫柳ヨウレシリーズの二作目に当たる。前作の「猫柳ヨウレの冒険 宇宙航路」は、見当たらない……T氏の事務所に、他の資料と一緒に置きっぱなしだなあ、などと思い起こしながら音読。
このSFは――
日本、否、世界のSFジャンルの金字塔である光瀬龍先生の惑星シリーズ。太陽系、さらにその彼方に進出した人類が、様々の道と出会い、繁栄し、あるいは衰亡し、様々のドラマを繰り広げる――その重厚無比のハードSF世界。その世界観の中、今で言う同じ世界線の中で繰り広げられる、コミカル要素多めのはちゃめちゃなお話し、だがガッチリSFの物語。

作中で「ズベ公」と称される、昭和の薫り馥郁たる破天荒な女の子の猫柳ヨウレ。
「~宇宙航路」では、表紙イラストが百億に昼と千億の夜のころからの光瀬龍先生との強力コンビ、萩尾望都先生。「~激闘編」では、表紙イラストは山田ミネコ先生。
こんなの、若輩のころの不肖は絶対好きになっちゃうじゃん、なヒロイン。そしてそれを取り巻く三人組の手下。はっきり言って悪党、どうしようもないダメ男ども三人組を引き連れたヨウレの大冒険…………。

といっても――いわゆるスペースオペラではなく……月面のルナ・シティ、火星の東キャナル市、その片隅、もっというと下町、ドヤ街。そこで故買屋をカツアゲしたり、税務署に凹まされたり、学校の予算を流用して火星人の遺跡を探したり、全員文無しすかんぴんで、偽造カードで食堂で定食を食べたり……の、じつに地に足のついた=地べたを這いずるようなSF。
元海賊、元盗賊のダメ男三人組は、スキあらば隊長のヨウレを裏切ったり売り飛ばしたり、挙句の果ては毒牙にかけようとして……だが毎回、ろくでもない目にあって隊長のヨウレにべそをかいて泣きつく、すがりつく。

そんな、ワクワクと楽しさしかないSF。
私の創作メソッド、その方法論のかなりの割合は光瀬龍先生、そしてこの「猫柳ヨウレの冒険」から来ている、パク……頂いてしまっているなあ、などと再確認しながら――音読。
昔、若輩の私が。東京に上がっても、物書きになる糸口すらつかめず無明の中で絶望にのたうっていた若造の不肖が、手を止めている恐怖に耐えられなくて……原稿用紙に、好きな小説の一節を書き写したりしていた――そのとき、写経のように、いちばん書き写したのが光瀬龍先生だなあ、と古い記憶を思い起こしながら。

一冊、音読。出来た。……達成感というより、疲労感、徒労感。
だがその徒労は、本を一冊読み上げたその時間に対するものではなく――
元から持っていた私の能力、否、苦難と苦悶の中でかき集めて何とかものにした才覚、文章チカラを、現実が少々、負傷やら疾病で揺らいだだけで見失ってしまっていた――
時間を無駄にしていた、という徒労感。そして、焦燥感。

声に出して本を読む。
それが、思う以上に大変で、そして思う以上に自分を酷使し、律する事ができて。
……学校の授業で、本を音読するというのは、実はものすごく有用有益な教育なのでは?と感じ入りつつ。
最近は、午前中の時間を使って、あの六畳間で本を読み上げている不肖。
現実が、生活が苦しかろうと――

動かなくなったパソコンを、T氏に復旧していただいたように。
いつのまにか動かなくなっていた脳も、復旧して再起動……できる、出来たのだ。
そしてこの行為は、自分の才覚が錆びついてしまっていることにも気付かされる――
出来る と思い込んでいる自分の能力のいくつかは、実は錆びついて固着している、出来ていたはずのことができなくなっている。
そしてその才覚を使わない、さぼって何もしないことで、無意識のうちにおのれの錆から目を逸らしている……。目を、そらし続けていた。
それにも気付かされる。

再び、脳の運河に、水路に血が巡り始めた。声帯と、キーボードを打つ指もそれに同調を始めた。
――今までの経験からして。
この再起動も、また些細なことで膝をつき、臥してしまいかねない。
それまでは……血を巡らせ続ける。声帯と手指を酷使する。

いつも不肖のあれこれをご覧になってくださるみなさま、ご声援下さる皆様。
本当にありがとうございます。
……不甲斐ないところを多々、お見せしますがこれからもがんばります。


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菅沼恭司
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