介護職の「仕事ができる」ってなんだろう?
友達が書いたnoteを読んで。
私が最近ずーっと考えているのは、介護職の「仕事ができる」ってどういうことだろう?ということです。
その背景には、介護職の特殊性があります。
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私の職場は10個の個室があり、その真ん中に共用のリビングがあるという構造です。そこに日中は1人の職員が配置されます。
基本的には職員1:利用者10という比率です。
例えば、朝ご飯と昼ご飯の間の業務を挙げてみると、
・朝ごはんの片付け
・歯磨きの声かけや介助
・トイレのお手伝いとトイレに行けない方のオムツ交換
・10時のお茶
・昼食の準備
こんな感じのことを10人分。
これに、日により分量が変わる業務(お散歩に行きたい方の対応、寝たい・起きたいなどのご希望への対応)がプラスされます。
ここで改めて主張したいのが、職員が1であること。2:20でも、3:30でもなく1:10。
だから、分業ができません。
仕事がテキパキできる職員の業務は多めに、時間がかかるひとは少なく、ということができないのです。
また、仕事を減らすこともできません。
今日は新卒の職員さんだから田中さんのオムツ交換は無しで!なんて訳にはいきません。それが行き過ぎれば虐待です。
なので、仕事ができなかった分は、次の時間に出勤してくる職員がやることになります。
だから、時間が勝負。容量よくテキパキと仕事ができることが第一条件となります。
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一方で、私たちがやっているのは「生活のお手伝い」です。仕事をテキパキこなす、ということは簡単に「生活を効率で考える」という方向に転がってしまいます。
この人の話を聞き流せば次の業務に行けるけど、それでいいのか。
今この人の希望に沿ってしまうと、昼食までに業務が終わりきらないのではないか。
希望をできるだけ叶えたいけど、利用者さんは10人、体は1つ。
帰る時間までにこの仕事までやっておきたい、というラインもあります。
「仕事の効率」と「その人の生活の質」そして「自分の感情」の狭間でいつもジレンマを感じます。
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そして、さらに難しいのは仕事の速さは可視化できても、その内容はなかなか可視化できないということです。
例えば同じ対人援助職でも子どもに接する仕事であれば、職員のコミュニケーションの質は「子どもたちからの評判」としてはっきりと返ってきます。
一方お年寄りに接する仕事は、はっきりとした反応が返ってくることがなかなかありません。1年半勤めていても次にシフトに入った時には「あなたの名前なんだっけね…」ということもよくあります。
なので、「ありがとうね~」と言ってもらえることはたくさんあるけれど、個人の仕事に対するフィードバックは得づらい仕事だなあと感じます。
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自分自身、仕事が早い人の後にシフトに入ったときは「ありがたやありがたや…」と思いながら働くし、「あれやっといてくれてありがとう!」と本人にも伝えています。
でも、いいケアしているな、と思う人にそのことを伝える頻度はすごく少ないと感じるのです。
もちろん速さも大切なのだけど、速さ以外の良さを持った人が「仕事ができない」と自分を責めて、その良さをないがしろにしてしまわないように。
まずは自分が「こないだのあれ、すごくいいと思った!」と伝えられる人になりたいと思います。