おの
メンタル疾患の診断を受けてからの行ったり戻ったりする日々の気持ちを書いています。
介護の仕事をしているなかで考えたことや、想ったことを書いています。
「年をとるのもね、趣味の仲間が増えて案外悪いものじゃないです。」 入職してすぐの私に、年を取ることの楽しさを教えてくれたのが梅原さんだった。 * 公務員として長らく働かれていた梅原さんは、人のために働くことを惜しまない人だった。 「こんなことしかできないけれど…」とシルバーカーの台の上におしぼりを乗せ、食事のたびにみんなにおしぼりを配って回っていた。 認知面が衰えてきてからも、テレビで露出狂が出たというニュースを見ては若い女性職員に、「変な人が出てるのよ~」「あなたた
煮物のあぶらあげが好きだ。 他の具にほんのり油っ気をまとわせて、油揚げは良くダシを吸う。 油揚げは油を出して、ダシを吸っている。 * たまに、あぶらあげみたいにしんなりすることしかできない日がある。 そんな時は、ゆううつな気持ちが私の中にたまっている。 寝て起きて、食べて、また寝る。 あまりよくない夢を見る。 * 何度か寝たり起きたりを繰り返すと、少しずつ体にエネルギーがたまっていくのを感じる。 ゆううつな気持ちも少しずつ減っていく。 私は布団の中にゆうう
「こういう時こそご実家を頼るという手もありますよ」 休職が決まった時、上司から言われた。 「いや~~~~そうですね~~~~」 と、私はあいまいな返事をした。 * 私が幼少期を過ごした時、私の家庭はちょうど家族の体調不良が続いた時期だった。 自分は幸い体が丈夫だったこともあり、私は、「自分だけは健康であらなければ」と思いながら育った。 そんなこともあり、適応障害で休職になったことを伝えるのは、非常に勇気がいった。 両親は思ったよりあっけらかんとしていた。 「気分転換に帰
休職して一か月が経った。 「今の時期は、寝て、散歩して、やれるときだけやりたいことやって過ごせばいいですよ」 とyoutubeで見た医者も、かかりつけ医も、友達も言っていた。 そんなわけで、私は毎日、youtubeで動画を見て、本を読んで、刺激に疲れたらストレッチして、掃除して過ごしている。 でも、全然「やりたいことだけやっている」感がない。むしろ、さしてやりたくないことをいっぱいやっている気がする。 全然楽しくない。 これはなんでなんだろう? * 本当は、今の私には
先週までは永遠に寝ていられたが、今週に入って昼寝しすぎると夜眠れないようになってきた。 回復してきているということだと思うが、やれることが少ないのに起きているのは案外しんどいものだ。 起きていられる時間は長くなった代わりに、音や光への過敏さが出てきた。 「動けるようになってきたけど、あまり刺激が強いのはダメだよ!」と脳が言ってるんだと思う。 だから、暇している。 本は読めるがハードな物語は刺激が強いので、エッセイなんかを読んでいる。 でも、8時間も読むものじゃない。
GWが始まってすぐに、突然脳の調子が悪くなった。 バッテリーが持たなくなったスマホみたいになった。 兆候はほとんどなかった。ちょっと忙しいなぁと思ってはいたけど、定時に帰ってたし、自分に合った仕事に就けて嬉しいなぁと思っていた。 強いて言うならすごい緊張するなぁ、っていうのと、首と肩がめちゃくちゃ凝るなぁ、ってこと。 転職したてということもあり「慣れるまでって大変よねぇ」と軽く捉えていた。 なのに、ある日突然。 人と話している最中に、どんどん頭が熱くなってきた。 熱がある
2021年1月1日。元旦から私は働いていた。 朝ご飯の前に、ある方の靴下を履くお手伝いをしていた時に、私はささいなミスをしてその方に謝った。 すると、その方は、 「あなた気を遣いすぎじゃないかと思うの。私なら無理よ、そんなの。 大丈夫よ。あなたならなれるわよ・・・あれに。」 と言った。 あれってなんですか?と聞いてみたけれど、 「あれは・・・・・あれよ。なんだったかしら・・・」 と。結局分からずじまいだった。 でも、元旦ということもあり、その言葉はとても温かく
これが最期の言葉になるかも、と思いながらベッド際に立ったのは初めてだった。 今、部屋を出たら、もうこの人に会うことはないかもしれない。 そんな時に、人はどんな言葉をかけるんだろう。 * 島原さん(仮名)とは長い付き合いになる。 私が仕事を始めた時には既に、週のうち数日を施設で過ごし、残りの半分は自宅で暮らしている方だった。 島原さんの病名はALS。 運動をつかさどる神経がダメージを受け、徐々に筋肉が動かなくなっていく病気だ。 筋肉が動かなくなっていく、ということはただ
生きてると、羨ましくなっちゃいますよね、人のこと。 「あの子はいっつも丁寧な暮らししてるな~」とか、 「学生時代の友達と今もこんなに付き合いあるんだ!」とか、 「〇〇さん、新しい仕事任されたんだ!すごいなぁ…」とか。 ヘッダーみたいな写真を見かけたら、結婚したの!!!!マジで!?!?って思うし。 羨ましいと思っても自分は何も変わらない。 分かってる、分かってるけど、それでも羨ましくなっちゃうのが人の性。 * 今まで私は、あんまり人のことうらやましいと思わないタイプだ
自分の実家に帰るためにずっと廊下を歩いている人がいたり、 頭がかゆいけど手が頭まで届かなくて娘をずっと呼んでいる人がいたり、 食べ物と間違えてティッシュを食べてしまう人がいたり、 それらすべてが日常になる、そんな世界で働いて3年になった。 何のために働いてるの?と聞かれたら、 少しでも、なんかいい感じ、を増やすために働いている、と答える。 人間って、からだかゆい!とか、漏れそう!とか、 なんか、とても人前では口に出せないことを思いながら生きてると思う。 多分考えてること
こんばんは!カイゴの仕事をしているオノデラです。 今回のテーマは、 やっぱり、カイゴって3Kじゃないの? 「きつい・汚い・危険」の頭文字をとったものである3K。 実際に介護の仕事をしているオノデラが、介護の3K問題についてどう思うかについて書いていきます! 3Kのうち2Kはあてはまる部分はあるもし今、友達に「介護って3Kじゃない?」と聞かれたら、 確かに、きついと汚いはあてはまる部分はある と答えると思います。 体を使う仕事なので身体的にしんどいな、と思うことは
普段は介護職をしているオノデラが、お年寄りと関わる中で感じたことを書いているカイゴノート。 これから何回かは、介護の仕事をする前の自分がよくわかっていなかったことや、介護の仕事に触れたことがない人が持つギモンについて書いていこうと思います。 第一回のテーマは、 老人ホームの介護職ってどんな仕事? 一言で介護職と言っても、実は色々な業種があって、仕事の内容は千差万別。その中で、オノデラはどんな仕事をしているのかご紹介します! 特別養護老人ホームってどんなところ?オノデ
カイゴノートを書き始めて、気づいたら1年がたっていました。 書いた記事は、14本。 平均して1か月に1本のペースで書いたことになります。 節目のタイミングに、自分が考えてきたことを振り返ってみようと思います。 介護の魅力を言語化したい!から始まったそもそものきっかけは、友達から「何で介護なんてやってるの?」と聞かれたこと。 この質問をしてもらったことがきっかけで、自分は介護について全然言葉にできていないことに気が付きました。 書き始めからしばらくの間は、介護職は「ふだ
三浦春馬さんが亡くなりました。 三浦さんの出演作をチェックしていた訳ではないのですが、以前歌番組でミュージカル「キンキーブーツ」の曲を歌っている三浦春馬さんを見て、あまりの素敵さにぜひ行ってみたいと思っていました。 歌番組を見て、生の舞台に足を運びたいと思ったのは初めてのことでした。 私は介護の仕事をしているため、人の死に接する機会が多くあります。仕事をする前にも、親類や同級生の死に接したことが何度かありました。 そこから感じているのは、人が亡くなった時のショックには、
人生の最期を、どんな風に迎えたいですか? 私はできれば、陽の当たる部屋で、数人の自分が大切にしてきた人に見守られながら最期を迎えたいと思っています。 介護の仕事をするまでは、それは自分が望めば叶えられることだと思っていました。 でも、理想の亡くなり方を叶えるのは本当に難しいことです。 その時の家族の生活の状況や、自分の容体が悪くなるスピード、どのような体の状態で亡くなるかなど、自分と周囲のいろんな要素がぴったりかみ合ったときに、穏やかな最期を迎えることができると感じてい
昨日には想像もしなかったような今日が来ることを、私たちは身をもって知っている。 友だちとおいしいご飯を食べること。 知らない場所に旅をすること。 離れた家族に顔を見せに行くこと。 人の門出を祝ったり、別れを惜しんだりすること。 全てが「リスク」になる日が来るなんて。 今は「リスク」だし、「不要不急」だから、「自粛すべき」なのかもしれないけれど、 そんな瞬間のために、私たちは生きていたんだと思う。 * 今までの人生で、楽しかったのはどんな時だった? ざーっと思い返し