さぁ、生き切ってくれ。基盤は私たちが整える。
「年をとるのもね、趣味の仲間が増えて案外悪いものじゃないです。」
入職してすぐの私に、年を取ることの楽しさを教えてくれたのが梅原さんだった。
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公務員として長らく働かれていた梅原さんは、人のために働くことを惜しまない人だった。
「こんなことしかできないけれど…」とシルバーカーの台の上におしぼりを乗せ、食事のたびにみんなにおしぼりを配って回っていた。
認知面が衰えてきてからも、テレビで露出狂が出たというニュースを見ては若い女性職員に、「変な人が出てるのよ~」「あなたたちみたいな人が一番危ないのよ~」「他の女の子にも教えてあげて~」
と言って回っていた。
「大丈夫です、違う県の話ですからご安心ください~」なんてちょっと笑ってしまいながら、いつも人のことを気遣う梅原さんらしいな、としみじみしてしまった。
梅原さんのそんな気質は、亡くなったあとの処置にも表れている。
梅原さんは献体を希望しているのだ。
献体とは、自分の死後の身体を医学生などの人体解剖の教材として提供することだ。
どこまでも、周りに尽くすことを望む人だった。
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当初、私は梅原さんのケアに苦戦していた。
着替えがなかなかうまくいかなくて、「他の人は上手だけどあなただけはあんまり…」と言われた時はめちゃくちゃ落ち込んだけど、
しばらく経ってから「上手になったわね」と言われた時の喜びもひとしおだった。
認知面が低下して、色々なことが混乱するようになった時には、ケアをしようと近づいても「触らないで!」と体をつねられたこともあった。
でも、2か月ほどして心の調子が落ち着いた梅原さんから
「私あなたのことつねったことあったでしょ。本当にごめんなさいね。」
と言われた時には、孫より若い年齢の私に、2か月も前のことをしっかり謝ることができる梅原さんの誠実さを尊敬した。
お互いに色々な感情になりながら、一緒に日々を過ごしてきた。
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少しずつ少しずつ、梅原さんは体力が持たなくなっていった。
「起こして~」「寝かせて~」を繰り返すようになり、ベッドから起き上がるときに転んでしまうことも増えてきた。
元気なときは活発に車いすで施設内を歩き、疲れるとまるで充電が切れたかのようにいきなり机に伏せてしまうようになった。
寝ている時間は少しずつ伸びていく。
朝食と昼食の間は寝る、食事の時だけ起きる、食事の時に起きても途中で目をつぶってしまいこぼしてしまう、朝食は起きられず食べられなかった…
そんな日が続き、今は丸一日寝ていることもある。
丸一日の眠りから目を覚ました梅原さんは、「そんなに寝てたの~?」と自分でびっくりされている。
思わず笑ってしまいながら、私たちは少しずつ最期の時が迫ってきているのを感じている。
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少しずつできないことが増えていく梅原さんにあわせたサポートを私たちは進めてきた。
手が滑ってお椀を落としてしまうことが増えてからは、持ちやすい取っ手のついたプラスチックのお椀を購入した。
飲み物からも栄養を取れるように、医師から高カロリー飲料を処方してもらった。
痩せた体で寝ていても体が痛くならない柔らかいマットをベッドに敷いた。
そして、死後の処置の方法を改めてみんなで共有した。
さぁ、梅原さん、全力で生き切ってくれ。
着替えも、食事も、身の回りのことは、今はできるときだけ頑張ってもらえれば大丈夫。
今の梅原さんにとって必要なことは何かは私たちが考えるから、ただ、生きることに専念してください。
基盤は私たちが整える。