胸を張って、「むりなものはむり」と。
「こういう時こそご実家を頼るという手もありますよ」
休職が決まった時、上司から言われた。
「いや~~~~そうですね~~~~」
と、私はあいまいな返事をした。
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私が幼少期を過ごした時、私の家庭はちょうど家族の体調不良が続いた時期だった。
自分は幸い体が丈夫だったこともあり、私は、「自分だけは健康であらなければ」と思いながら育った。
そんなこともあり、適応障害で休職になったことを伝えるのは、非常に勇気がいった。
両親は思ったよりあっけらかんとしていた。
「気分転換に帰ってきてもいいよ~」
と言われたが、実家には戻らず、今の家で休養することにした。
実家に帰ったら、きっと自分は元気であろうとしてしまうと思ったからだ。
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この間、実家とzoomを繋いで、休職期間が3か月に伸びたことを告げた。
「お医者さんがそう言うならきっとその方がいいんだよ」
と両親は言った。
でも、言葉とは裏腹に、心配そうに顔を見合わせる両親を見て、心が痛んだ。
自分では納得しているはずなのだ。
まだ仕事には戻れないし、自分にはもう少し休養が必要なんだと。
でもやっぱり私は、人の期待に応えたい、ちゃんとできていると思われたい
とまだ強く感じているんだな、と思った。
相手から言われたわけでもないのに、言外の意味まで汲み取ろうとする。
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適応障害の診断がついたときに、お医者さんがこんなことを言っていた。
「こういう病気はね、心が弱い人がかかる、って言われる人がおられますけど、違うんですよ。
心が強い方がかかるんです。
普通の人なら辞めちゃったり、弱音を挙げるような環境でも、頑張り続けた人がこういう病気になるんですよ。」
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私の心が強いのかは分からないけど、強くあろうとしていたとは思う。
その場で求められていることにはできる限り応えようとして、
暗い話はできるだけ笑い話に変えて、
嫌なことがあっても、でもこういういい所もあった、と見つけようとして。
それ自体は悪いことじゃないんだろうけど「とは言え、むりなものはむり」っていう言葉が言えなかったんだろうな、と思っている。
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やっぱり、人間誰でも向き不向きがあるし、どんなに自分に合う環境に行ったって合わせるのには限界がある。
そこでそれぞれの個性が交じり合うから面白い、って他人には思えるのだけど、自分の仕事で自分が不足しているところにぶち当たったりするとなかなかそうは思えないのよね、本当に。
人にかけられる言葉を自分にも同じようにかけられたらいいのに。
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私のお休みは、まだしばらく続くのだけど、
少しずつ、「むりなものはむり」をやる練習をしていこうと思っている。
できなかった自分にがっかりするのではなく、自分のラインを見極められた自分をほめてあげるようにしたい。
日々、できることが増えては喜び、以前と比べてできなくなったことを見つけてはがっかりしたりする。
今日は一歩進んだ、今日は戻った、と毎日を捉えそうになる。
でも、いい意味でも悪い意味でも、以前の自分には戻らないことは分かっている。
前に進むのでも、後ろに進むのでもなく、一歩横に足をずらして、新しい考え方を、少しずつ私に染みこませていこうと思う。