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エネルギーの境界線が希薄であるがゆえに摂食障害になることもある|MikaRinGoRock美加りん語録

摂食障害

先日アーティストの友人と「創造と狂気」について話をしていた。


そういえば忘れていたけれど、かつて私も狂気の中で作品を作っていたなぁと思い出した。


私は作品作りをしなければ、多分死んでいただろう。延々と小さなマントラを書き続ける恐ろしいほどの集中力。その頃は、摂食障害(食べ吐き)を抱えていた時でもあったなぁ、という思い出話をしていた。


友人がガブっとかぶりついたのは、作品の方ではなく、私がどのようにその摂食障害から回復したのか?という事だった。


なぜなら友人の妹さんは、長い間摂食障害を抱え、今も不安定であったから。体験者である私がどのように完治したのかは切実な問題だったのだ。

完治してしまった方法


そうだね。私は思春期から30代の後半まで、ずっと過食嘔吐だった。

感情がいっぱいいっぱいになると、吐き気を催す。吐きだすためにバカ食いすることも、全てを忘れられる快楽となっていく。

ある日突然思った。これをこのまま一生続けるのかと。

そして決意したのは、摂食障害について正しく知ること。つまり医学書を読むことだった。そして理解した。これは私の性格や努力の問題ではなく、治療するべき病気なのだということを。


摂食障害は少しずつ自分の身体イメージがずれていく。本人はどこから病気の領域になってしまったのか分からない。それゆえ、自分自身の精神とか性格の問題だと勘違いして自分を責め、絶望していく。ところが医学書には、それは全てこの病の症状でしかなかったのだ。


そうか、ある時点から脳機能の問題になるのか、と理解した。それならば、ズレてしまった脳神経の繋がりを、いったんゼロにして繋ぎなおせばいいのではないかと思った。私は長年ヨガをしていたので、それならば瞑想で治せるはずだと思った。


詳しくは端折るけど、というか、あまり覚えていないのだけれども。体調管理をしつつも、二週間、瞑想し続けた。


最終的に憶えているのは、淡い紫ピンクの柔らかい繭(まゆ)の中にすっぽり包まれて、安心して眠る自分だった。これまで味わったことのない安心感だった。これが治療プロセスのフィナーレだった。(これ以降、完治した)


アーティストの友人は、子宮への回帰だったんだね、と言った。つまり混じりっ気のない純粋な自分自身への回帰。私はこの時初めて自分自身のエネルギーを知り、アンカリングすることが出来たのだった。

摂食障害のエネルギー的な理由


例えば、人生で生じる大きな出来事は、その生命体にとって何かしらのメリットがあるから起こる。良いことでも、悪いことでも、突き詰めていくと、それのお陰で生きながらえることだってあるのだ。


そこで、あの過食嘔吐は、私という生命体にとってどんなメリットがあったのだろうか?と今更ながら考えてみた。


今となっては答えは明白。


外界との境界線が希薄だった生命体の維持。



摂食障害をエネルギー的に解説したものは皆無だったから、気が付くのに時間がかかった。


外界と自分の境界線が希薄という事は、他人の感情と自分の感情の区別がつかないという事だ。子供の頃はワンネスの世界にいるから問題はなかった。ところが思春期になり自我が生まれ、心が成長してくるにつれ、自分のものではない様々な感情との共鳴が抱えきれなくなっていく。かといって対処方法もわからないので、文字通りお腹で消化できないものを、吐きだすしかなかったということだ。


例えば、電車に乗って、たまたま近くに物凄い怒りの感情を抱えている人が立っていたとする。怒りの感情というのははっきりとした強い周波数のエネルギーなので、その空間にクラスターとして漂う。


普通は自分を守る境界線があるので、影響されることはない。ちょっと敏感な人は、なんとなくそこを避けて座るだろう。


境界線がないという事は、その感情が自分の中に入ってくるという事だ。共鳴すると言っても良い。しかし、本人はそのことを知らないから、まるで突然自分の中に怒りの感情が生じたように思う。


自分の中に理由があれば対処できるけれども、もともと人のものなので、怒りが生じる理由がないのだ。これは困る。自分がおかしのだと思うしかない。この理由のない強い感情をどうやって対処すればいいというのだろう。


私の場合は体を使う事だった。つまり、たくさん食べて吐きだす。この時にその不要な感情も一緒に吐きだす。吐く罪悪感よりも、抱えることのできない感情を解放する安心感のほうが、生き延びるために必要な事だったのだ。

簡単な対処方法


完治した後は、霊的な勉強をすることで、自分の境界線の希薄さを補うことができるようになった。


とても簡単な方法だ。


例えば、突然何かしらのいや~な気持ちが湧いてきたとき(それは周りから入ってくる感覚はなく、あくまでも自分の中から湧き出る感じだき気持ち悪いのだ)まず質問する。


「この感情は私のものですか?」と。


その感情が自分のものではないときは、体がはっきりと「違う」と応えるのだ。


マインドは惑わされるけれども、身体は絶対に惑わされない。なぜならこの地球と魂を繋ぐのは、この生命を維持するのは、身体の役割りだからだ。身体の叡智は絶対的に自分の味方なのだ。


という風な、地道な作業の積み重ねで、だんだんと経験と情報が積み重なり、判断できるようになっていく。霊的な認知療法といえる。

とはいえ、いまだに境界線は希薄なままだと思う。いまだに生卵のようだし、分からないことが沢山ある。


かといって、境界線を厚くしようとも思っていない。なぜなら、このことで多大な恩恵も受けているからだ。境界線の薄さは、息をするように簡単に大自然や動物、地球や大宇宙と溶け合うことができるのだ。


この世は粒子であるとか、エネルギーの層が重なるサイキックフィールドであるとか、すべては一つであるとか、それはもうあまりに明白な事。


幸いにも、何人かの素晴らしい霊的な師にも出会うこともできて、この特性を理性(叡智)で制御して活用する方法を学ぶこともでき、さらには磨くことも可能なのだとわかった。


それは対象と100%エネルギーを共鳴できること。例えば瞑想の世界では、観入&観照、阿字観の世界だ。

ただそのためには、対象を選ぶこと、戻るべき本来の自分のエネルギーを知っておくこと、融合次元の熟知など、そのための訓練が必要になる。生活環境の選択もとても重要になってくる。


世界中で摂食障害の人はとても多い。その中には、このような境界線が希薄なタイプがいるのではないかと思う。そしてその原因が分からないがゆえに、知識がないがゆえに苦しんでいる人がいる。

しかし、その苦しみさえも、この地球では慈悲の萌芽でもある。対処方法がわかれば、自分を一番苦しめていたことが、実は自分を一番助けることにもなる。

多様性のひとつとして


もしあなたが摂食障害を抱えているとしても、それはあなたのせいではない。性格や考え方のせいでもない。家族や環境のせいでもない。自分自身をいじめる必要も、頑張る必要もない。


問題は、多くの人が、そういう敏感さがあるということを知らないこと、本人も対処方法を知らないこと、アドバイスする人がいないということなのだと思う。

境界線が希薄という特性は、地球に於いて、多様性のひとつなのだと思う。ある意味、とても未来的ともいえる。全ては繋がっていて、すべてはひとつということが明白なのだから。


これは私の個人的な実体験だけれども、もしも同じように苦しんでいる人がいるならば、この記事が少しでも助けになればと、切に願っている。


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**すっかり忘れていたことだけれども、記録していたおかげで、どんなふうに瞑想したのかが書いてあった。その記事はこちら。

(photo: ©MikaRin)








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