縄文遺跡でエネルギーを何も感じなかった理由が納得な@八ヶ岳|美加語録MikaGoRock
先日、友人に誘われて、縄文遺跡の宝庫の八ヶ岳にて、色々な遺跡や、大好きな縄文土器を見に行きました。
なんだかこの日は偶然にも博物館が無料公開の日だったので、わぁい、っと調子に乗って、予定外の資料館や遺跡など、あちこちを訪問。
遺跡が埋め立てられた阿久遺跡や、尖石縄文考古館の横にある尖石遺跡は森や原っぱとして残されています。そして地図をみながら集落や祭祀場だった場所に立ってエネルギーを感じてみました。
まずは感じる。。
で、
何も感じませんでした。
なんら特別なものを感じない。
普通~。
それはとても大切なことなんだ、と思いました。
その大地を歩んでいると、体が緩んで、フワッと優しい気持ちになりました。
一緒に歩いた友人も、なんだか優しい気持ちになる~と言っていました。
ああ、縄文の人たちっていうのは、私たちの中にあるこういう優しい気持ちを、最初にこの日本という大地にアンカリングしてくれた人たちなんだな~と思いました。
以前、ニュージーランドの森に行ったときに、その大地にしみこんでいる、ゆったりとしたきめ細かい穏やかなエネルギーを感じました。それはニュージーランドのネイティブである、ワイタハ族のエネルギーだったのだと後になってわかりました。
日本では、縄文人が優しいエネルギーで日本の大地の基礎を作ってくれたのだろうな。
私たちが普通に、困っている人を助けたり、災害時には協力し合ったり、誰とでも仲良くなれたり、外来人に親切だったり、動物植物にスピリットを感じたり。誰にでも何にでも平等に優しく接することができる気質は、縄文気質であり、それはすでにここにある。
それを私たちは最初から基本搭載しているから、違和感を感じないのです。
だからこその、何も感じない。
そう、内がわにすでに溶け込んでいるからだったのです。
もうひとつ、内側に感じたのは絶対的な平等感。
誰かを特別だと思うことは、同時に特別ではない人ができます。Aに何かしらの価値観を付加するということは、AとA以外という分離が自動的に生じます。
縄文の中に感じるこの平等感は、人も自然も動物も全てが平等。だからこそ、大自然と融和し、人々と融和し、何万年も平和に暮らしてきたのでしょう。
そう思うと、わぁい。縄文人さんとのダイレクトな繋がりを初めてリアルに感じて、感謝が湧いてきたっ
あっ、博物館にあった大好物の縄文土偶を見ていると、もうワクワク楽しくなってくるっ。
中には、「下手な土器」とか、「やりすぎの装飾土器」なんて展示もあって、その子供みたいな「無邪気さ」も縄文人の特徴ですね。
縄文のご先祖様、ありがとうっ
って、八ヶ岳の大地の森に叫びました!
(photo: ©MikaRin)
https://youtu.be/wTziW84NyEU
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