カラスの撮影会と地球家族⑤|アニマル・コミュニケーション
ある夏の日に野生のカラス君との友情をはぐくんだ物語です。
カラスが舞い降りてきて遊んだ日々①、カラス君に認識されたら②、カラス君とツーショット③、とうとう肩のりカラス④、の続きの記事です。
詩「漆黒の祝福」と「カラスの愛」は、野生のカラスと触れ合った実体験をもとにして書いた詩です。
カラス君はきっと来るだろうと思って、三脚とカメラをもって森に行った。
こんなよこしまな考えを持ったら来ないかも、と思うだろうけれど、お互いに存在を認め合ってしまったら、カラスとか人間とかの区別はなくなる。そして天はきっと撮影させてくれるだろうという確信があった。(その理由は最後に)
そうして、来た来たカラス君。遊ぶ気満々。三脚にカメラを設置して、リモートシャッターを手に持った。その間、カラス君は興味津々で逃げる気配もない。
そうしてカラス君との撮影会が始まった。
何か阿吽の呼吸。
カラス君との時間をすごして分かったとこは、彼らとの知的意思疎通レベルは人間の大学生以上だ。普通に話しても会話は通じる。(野生動物との会話のコツはあるけれど。)そして生き物としての叡智は人間よりはるかに大きく、瞑想的で社会性が高い。
彼らのエネルギーは本当に純粋でシャープで愛。
そう、私はカラス君から愛を学んだ。愛するという事に理由はいらない。相手が何者であろうと、100%の命で共に過ごす。そこには駆け引きも期待も何もない。カラス君は私にたいして彼の命を100%さらけだしたのだった。その純粋さに私の人間としての壁は崩れ去った。愛は同等なのだ。命も同等。同じ源からやってきて、形が違うだけのひとつの魂だ。
そんな風に過ごす時、時間が消える。愛は永遠だとわかってしまう。言語を超えたコミュニケーション、遊び、喜び、感動。ただ存在しているというエクスタシー。
さて、私たちがこのように人を愛せたらどんなことが起こるだろうか?
今現在のカラス君は、カラス社会に入って人間と遊ぶことはない。本当に三羽カラスで行動を共にしている。それでもお互いを認識すると挨拶をし、時に一人でふらりと姿を見せてくれる。
私の意識に変容があった時には、必ず近くを通って祝福してくれる。まるでスピリットガイドのように。
こんな風に写真を撮ることが出来た理由は、この写真を見た人の反応にある。
「カラスの認識が変わった」
「カラスとコミュニケーションとれるんだ」
「カラス嫌いだったけど、初めて可愛いって思った」
「真似をして話かけてみた」
と、驚きつつもカラスに対して親近感をもつようになった。
人の意識を変えるというのは、凄いことだと思う。野生のカラスはどこにでもいるだけにインパクトが強かったのだと思う。
そうやって動物王国の住人に対して関心と好意をもち、彼らは意思疎通ができる知的な存在であると尊重して共生できれば、カラス達の世界は安全になる。野生とは野獣ではなく、自然と一体で生きる私たちの先輩だ。
そして何より、異種間交流というのは人間の意識を飛躍的に拡げる。つまり、共にこの惑星に住んでいるという認識を持つ、地球家族に一歩近づけるということだ。そうして、真の楽園の創造。地球の天国ここに在り、という現実がやってくる。
それは未来ではなく、今の私たちの意識の中に燦然と輝き存在するものだろうと思う。
(photo: ©MikaRin)
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