天空の標 第四話
第二章 異事(一)
「やっぱり、二人だけで来るのは得策ではなかったのでは」
ロスが恨みがましく言う。テハイザ王宮の一室、控えの間だ。
何事かが城の中で起こったことは間違いない。しかしそれが何かは、二人には知らされなかった。芳しくないことを言っておきながら、である。城の内部に通されたはいいが、大臣は屋内に入ったところで二人を召使いの一人に任せ、報せが来るまで待つよう述べて何処かへ消えた。待機場所として連れてこられたのがこの部屋というわけだ。
「少なくともあと数人は連れて来るべきだったんじゃないですか。隠れてるつもりでしょうけど、あの監視の兵の数、尋常じゃないですよ」
実のところ今回の外遊には、ロスの他にもシレア国の役人、しかも重鎮が何人か伴っていた。次期後継者の正式訪問として各国を回り、挨拶と今後の関係について協議をしてきたのだ。ところがテハイザに入る前の訪問国で、カエルムはロス以外の者達に貿易や交換留学制などの交渉に時間をかけろと申し渡し、彼らを残してきてしまったのだった。
「これが、『得策』だ。大勢で来てみろ。テハイザの神経をさらに逆撫でして監視が倍に増えるぞ。我々の供には軍人も何人かいたからな。連れてきたら言いがかりをつけて襲撃される可能性を高めるだけだ」
王子は窓から海を眺めながら答えた。落ち着き払っているのはいつものことだが、長い付き合いのロスでもあまりに冷静すぎて現状把握がなっていないのではと不安になる。
「まったくこれが国に知られたら……大臣と姫様に怒られるのはあんただけにしてください」
こっちの立場がない、とロスは本日何度目かの溜息をつき、椅子の背もたれに乱暴に身を投げ出した。
「なに、問題ないさ。二人とは言っても私とロスの二人だ。大事があったところで、脱出にしろ何にしろ、下手に人数がいるよりも有利だろう」
カエルムの声音に笑いが混じる。確かに万が一攻撃を仕掛けられたとき、味方の数が多ければ統率するのに意識を割かれてしまう。
それに長年仕えた身だ。主君が言外に言わんとするところもロスには理解できる。こめかみを押さえたままで、ロスは返した。
「……聞きましたからね。自分の身は自分でどうにかしてください」
カエルムは声を立てて笑った。
「解ってるじゃないか。ほか諸々は、頼りにしてるよ」
***
大体、正午を一時間ほど過ぎた頃だろうか。二人がそろそろ空腹を感じ始めると、開け放された扉の前に若い青年が現れ、客人に礼を取った。
「閣下がお呼びでいらっしゃいます。どうか御足労願いたく参上致しました」
そろそろ待つのに飽きてきたロスと、部屋に置かれていた書物に視線を落としていたカエルムは、呼びかけに応じて椅子から立ち上がり、礼を返した。
「恐縮に存じます。案内をお願いできますか」
カエルムが穏やかに頼むと、青年は好感度の高いはきはきとした返事で、こちらへ、と二人を誘った。
***
テハイザの王城は、木造部分の多いシレアの王城、首都シューザリーンにある王宮とは対照的に、石造りの部分が多い。手摺や調度品の数々も同様で、鉱石や貝殻が埋め込まれ、シレアに比べると華やかな装飾が施されている。
「殿下、文化が違うものを見るとやはり面白いですね」
「海風の影響で湿度の高いこの場所では、木造部が増えるほど耐久性が落ちるのだろう。それにしても見事に精緻な細工だな」
うちの木彫品ともっと交易増やせないかな、とか呟きながら、天井高く広々とした廊を通って城の中心部に進む。
通された部屋は、天井のほぼ全面が硝子張りになった円形の間だった。部屋の中央に六角形の黒曜石で出来た卓があり、その上にいくつもの環が重なって球体を成した幾何学的な物体が載っている。
大臣はその球体の向こうでカエルムとロスを待っていた。部屋の中を見回したところ、王は臨席していない。二人が部屋に入ると、大臣は案内をした青年に辞するよう合図する。
「御案内、感謝申し上げます。あまり時間を拝借しても失礼。早速、陛下にお目にかかりたいのですが?」
威圧的な態度を隠さぬ大臣を前に、カエルムはあくまで温和な態度を崩さずに述べた。しかし相手は冷徹に言い放つ。
「只今、王には謁見の時間などありませぬ」
「それはなぜ」
「貴殿の入国は、災いの兆しではありますまいな」
入城の時と似た文言を聞き、ロスの眉尻が上がった。カエルムはそれを視線だけで諌める。そして大臣の方に向き直り、「どういうことです」と説明を促した。
「こちらが何かご存知か」
大臣は両者の間の球体を指し示し、嫌悪露わに問うた。
「実物を拝見するのは初めてですが……当然、話には」
カエルムの顔からも笑みは消え、眼差しが真剣味を帯びる。
「天球儀、でしょう。それもただの天球儀ではない」
「左様。ある程度の教養はおありのようだ。では、これの持つ意味は」
他国について主要事項は知って然るべき——為政者の務めである。大臣の発言は明らかにカエルムを蔑視したものだ。しかし求められるままにカエルムは説明を続けた。
「テハイザの宝は万能の方位。古くより王城に伝わる天球儀の指すところ、太陽と月をはじめとし、満天の星々の軌道を標し、昼夜季節を問わず、絶えずとどまることなく回り続ける……」
テハイザの典礼時にも述べられる文言だ。王子として、次期後継者の一人として、書物、謁見、様々なところで見聞きしたのでそらで言えるまで覚えてしまった。実物を目の前にするのは初めてだったが、その模写図なら歴史書でも見ていた。
ただし、カエルムの記憶と目の前の天球儀は、どこか噛み合わない。頭の中で文献資料の記述や聞いた話を繋ぎ合わせる。
それらがカエルムの中でかち合った時、ふと口から言葉が出たのと、大臣が低く述べた声が重なった。
「動いていない」