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「現状に満足する自分」にOKを出してみる

久しぶりの更新になる。
体調が悪かったとかではないのだけれど、毎年この時期は なんとなく調子が上がらない。気温や日照時間の変化による影響もあるかもしれない。無理に行動しようとせず、心の声に従って動くことを意識している。おかげで毎日幸せに過ごしているものの、人生に悩みは尽きない。最近の悩みはこれ。

現状に満足してしまった


一見贅沢な悩みのように思えるかもしれない。実際そう。でも、私にとっては結構深刻な問題だった。

これまでは、幸せになりたい とか 楽しく過ごしたい と思って行動してきた。そのために自分の感情と向き合って、望みに気づいて、行動して、自分で満たす。その繰り返しで、自分はすでに幸せだと気づき、満足してしまった。やりたいことリストを書き出してみたが、そのほとんどは叶ってしまった。(叶っていないものもあるけど、それは自分だけではどうしようもない範囲のものだから、叶うべきタイミングで叶うだろうくらいに思っている。)

それの何が問題なのかというと、これ以上することがない という状態になってしまったということだ。例えば、本当は欲しいけれど我慢しているものがあるとする。思い切ってそれを買ってみたら、幸せに近づくだろう。でも、私には今のところ欲しいものはない。他にも例えば、東京ドームでライブをすることを夢みる歌手がいるとする。その人は夢を叶えるために、毎日レッスンに通ったり、路上ライブをしてみたり、きっとやれることがたくさんある。そんな日々はきっと大変ながらも輝いていることだろう。でも、私には夢がないのだ。

変な例えかもしれないけれど、せっかく10日間の海外旅行に来たのに、1日目で観光地を全て回ってしまったかのような。奮発して高級な120分食べ放題のビュッフェに来たのに、開始30分でお腹いっぱいになってしまったかのような。なんだかそんな気持ちになってしまって、あまり心地の良い感じがしなかった。それに、観光し尽くしたのも、お腹いっぱいになったのも、自分一人のことだというのが、私をぞわぞわさせていた。自分だけ満たして誰にも貢献していないヤツ というラベルが、誰かによって自分に貼られてしまう気がしていた。

「現状に満足してはいけない」 という思い込み


あとから気づいたことだが、自分には「現状に満足してはいけない」という思いが強くあった。現状に満足したら成長できない と思っていたし、何より 「あいつは現状で満足している」と他者から思われてはならない という思いが強かった。

自分の弱さに自覚的で、常に向上心があり、現状維持を嫌い、次の場所へ行く準備を欠かさない。今のままでいいとは思っていないし、今ここにいる自分は仮の姿だから、まだ評価しないで欲しい。恥ずかしいけど、こう感じていた。

文字にすると頑なな思いをより感じるし、評価されることから自分を守ろうと必死なのがわかる。そしてそのためには、やはり現状を受け入れて満足してしまってはいけないと思い、まだダメお前はまだまだそんなもんじゃない と自分を奮い立たせようとしていた。

「現状に満足する」をしてみることにする


現在進行形なのだが、現状に満足してみるという試みをすることにした。もっと正確に言うなら、満足していることを認めるということだ。今までやったことがなくて少し怖いし、そんなことをしてしまったら自分が成長しなくなるんじゃないか、ただでさえ社会の役に立っていない気がするというのに、それにOKを出すつもりか!という思いが湧き出てくる。が、一方で、それ以外もうやれることがない気がするという消極的理由も一つあり、この試みがある。それに、まだダメ、まだダメ、と思って夢を探すけど見つからなくて、今の私は仮の姿だと言い聞かせる。それはなんだかしんどい気がして、今満たされているならそれでいいじゃん!今の自分はこれで満足しているよ!と自分で自分を認めることが、今必要なことなのでは?と思っている。

「現状に満足する」と「役に立つ」


現状に満足することをしてしまった場合のリスクとして、人の役に立つ、社会に貢献するという自分を諦めるという感覚があった。本当は誰かに貢献したい、喜ばれたい、存在してくれてありがとうと思われたい、という思いがあるのに、自分一人で自分のことだけを満たして、それを満足だなんて言っていたら、自分はいつまでも誰かの役に立つことなんてできないんじゃないかという思いがゼロなわけではない。しかし、「現状に満足する」と「役に立つ」は決して二者択一なわけではなく、両立することもできるかもしれないと信じてみると、少しだけ心が軽くなった。

「何かを選択することは、選ばなかったほうの選択肢を捨てること」という思いが私には強くある。間違いではないかもしれないけれど、時には両方選ぶことだってできるかもしれないと最近少しだけ思う。現状に満足しながら役に立つことを探すこともできるかもしれない。役に立てていないから満足していないわけではなくて、役に立っていないと感じる現状でも満足していると認めることが、次の段階に進むきっかけになる気もしている。


「自分が幸せになりながらも、社会に役立つ生き方は必ずあります。」

今日部屋の片付けをしていたら、中学時代の担任の先生から、2年前にもらった葉書を見つけた。そこに書いてあって、ふと目に入ったのがこの一文だ。
私がこんな悩みを持つことをわかっていたのだろうか。こんなにもタイムリーなことはあるのかと思って心が震え、もらった当時よりもより深く、この意味を理解できた気がして嬉しくなった。

実際役に立てるかどうかは受け手が決めることだから、自分が行動すべきことの基準としては役立つことを目的にするのではなく、やりたいことをやってそれが結果的に誰かの役に立てば良い。これが今までの私の「やりたいこと」と「役立つこと」の関係についての考え方だった。今も大きくは変わっていない。
でも、特にやりたいことがない今、まずは現状に満足していることを認め(それがないと現状に満足することが目的となりかねない。でも、現状に満足してはいけないという思い込みのせいでそれが叶わない、というループ)、その先にもしかしたら「役に立つことがやりたいことだ」という状態になるかもしれないともなんとなく感じている。


自分が探しているものは、もしかしたら探さなくていいものかもしれない。

自分がどちらか一つ選ばなきゃいけないと思っているものは、もしかしたら両方選べるものかもしれない。

この先のことを考えると不安にもなるかもしれないけれど、まずは今、今日の自分は幸せだったね、満たされていたね、という状態を作っていく、積み重ねていくことしか、むしろ今の自分ができることってないのかもしれないし、そのおかげで未来は作られていくのかもなーと、先生からの手紙を読んで今の私は感じたのだった。


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