『チョコレート』グロトウスキ三代と森三代
私の中で、第三次ヒース・レジャーブームが来ている。
ヒース・レジャーのどこか哀しげで寂しげな演技が大好きなのだけど、観ていなかった『チョコレート』(2001年、マーク・フォースター監督)が最高に泣けた。
近所の黒人の子供を銃で脅して追い払う、絵に描いたようなアメリカ南部の家族・グロトウスキ家の物語。現代だったら絶対トランプ支持で、「男らしくない」からマスク拒否して「タフじゃない」からワクチン打たないタイプの家族だ。
南軍旗を掲げた家に、祖父バック(ピーター・ボイル)、父ハンク(ビリー・ボブ・ソーントン)、息子ソニー(ヒース・レジャー)の男3人で住んでいる。
老いてなおバリバリの白人至上主義者で男尊女卑主義者のバックは、自由に動けない体になってもまだ息子と孫に絶大な影響力を持っている。刑務所で看守としてハンクは特に強くその影響を受けていて、同じく刑務所で働いている息子ソニーのことを「弱くてダメなやつだ」ともどかしく思っている。
ソニーは祖父と父に「男らしくなれ!」「強くなれ!」「男はタフじゃなきゃダメだ!」と言われて育って来たのだろうけど、彼は黒人の子供たちと仲良くするし、死刑囚の気持ちを思いやれる優しい心を持った青年だった。それが悲劇を生む。優しさと弱さは同義、優しさとは女のもの、と思っている彼らにはソニーの良さがわからない。ソニーはきっとずっと父のようになりたくて、父に愛されたかった。父のことを愛していたから。そして父に愛されない自分のことを、愛すことができなかった。もし自分を愛せていて、父を憎む強さがあったなら、父と同じ職場では働かないし、もっと自分に合う場所を見つけていただろう。
そんなある日、交流のあった囚人の死刑執行前に嘔吐してしまい、最後まで立ち会うことができなかったソニーをハンクは罵倒し、殴り、痛めつける。
「父さんは俺が嫌いなんだろ?」「…ああ。嫌いだった。昔からずっと」「俺はいつも愛してたよ」
ソニーが初めて自主的に選んだ行動は、自殺だった。
ソニーの葬儀の時、バックは「昔から弱い子だった(から仕方ない)」と言う。この辺りからハンクは、父が本当に正しいのか?父の考え方を信じて生きてきたけど、それで良かったのか?自分は本当に弱い息子のことが嫌いだったのか?と考え出したような気がする。
もう一つのきっかけは、刑務所の仕事を辞めてきたハンクに、バックが「母親にそっくりだ。あれはろくでもない女だった。お前も同じだ」と言ったことだったと思う。
面白いのは、男尊女卑主義者たちが皆息子を批判するときに「母親に似ている」と言う点で、ハンクもまたソニーを罵倒するときに「母親に似ていくじなしだ。女の腐ったようなやつだ」と言っていたのだ。母親に似たから弱いんだ(=俺のせいじゃない)、というまったく同じ手法で息子をけなしていたけど、自分が息子の立場になると、母親をけなす父を許せない、と感じた。男尊女卑のくせに、ママをけなされるとブチ切れる。これは興味深い。ママはパパにとってはただの女だけど、息子にとっては永遠に崇高なる母なのだ。
子供を叱るときに自分が親に言われて一番嫌だったことをつい言ってしまう、というのはありがちなことだけど、ハンクは本当に久々に父親にけなされて、卑劣なやり方でソニーを貶める醜い自分の姿を父に見たのだと思う。
そしてここにリンクしてくるのが、ソニーの死の契機になった死刑囚ローレンス(ショーン・コムズ)の妻レティシア(ハル・ベリー)。
夫はずっと刑務所に入っていたので実質一人で息子タイレルを育てていたレティシアは、ハンクの行きつけのレストランでウェイトレスをしている(タイレルはすごい肥満児で、ストレスを抱えているのかなと感じさせる。レティシアもまた子育てで悩んでいたのかも)。しかしある夜タイレルが車に轢かれてしまい、偶然通りかかったハンクが二人を乗せて病院に連れていくことに。結局タイレルは助からないのだけど、これがきっかけで二人は急接近。ブラック・ヴィーナスたるハル・ベリーのスレンダー美巨乳が拝めます。当時これ目当てに映画館行った人も多そうw
最初、ハンクは父親に徹底的に植え付けられてきた黒人差別と偏見を取り払ってレティシアと向き合い、息子を失った者同士良い関係を築いていた。でも、レティシアがプレゼントを持ってハンク不在の家を訪れたところ、バックが「俺も昔はクロをよく抱いたよ、クロを抱いてこそ男だ。そういうことだ。」と最低なことを言い、レティシアはお前もそういう男かぁ!!とハンクに大激怒(もちろんレティシアの気持ちはめちゃくちゃわかるけど、違うからハンクかなり可哀想w)。
この一件でハンクもキレて、父親を老人ホームに入れ、ついに決別。このときのバック、まさに「男性終了」という感じで哀愁あった。散々「男じゃない」という言葉で他人を馬鹿にしてきた男が、散々見下してきた黒人看護師たちに介護されて一生を終える。哀れな話だ。まあ、彼も彼でさらにその父からの呪縛、妻に愛されなかった苦悩とかがあったのかも知れないけどね。
父の呪いを断ち切ったハンクは、レティシアを家に迎える。ここで初めて夫ローレンスの死刑を執行したのがハンクだとわかって、レティシアはかなり動揺するのだけど、ラストシーンで「俺たちうまく行くと思うよ」と言うハンクの言葉にふっと落ち着いたように微笑む、このハル・ベリーの演技がすごい。「信じてみよう」という心の声が聞こえる。いつかソニーとタイレルの痛みを乗り越えた二人に子供ができて、隣の家の黒人少年達と仲良くしてる姿も想像できるような終わり方で、とてもよかった・・・。
ビリー・ボブ・ソーントンの、前半と後半の違いもすごい。黒人の同僚に「ランクが上の人種に触るな!」と言い放っていた憎たらしい白人クソオヤジ(Twitterで拡散して社会的に抹殺してやりたいと思った笑)から、弱いものを守ることこそ本当の男らしさだと知っている優しい男へ。さすが。
また隣の黒人の子供達がめちゃくちゃ良い子で、それが泣かせるの。差別的な理由で銃で脅してくるようなやつに「ソニーのこと残念でした。ソニーが大好きでした。」とちゃんとお悔やみを言いに来る、その優しさよ!
そしてヒース・レジャーね。こういう役、ほんと似合う。娼婦(お父さんと同じ娼婦を使ってるのは衝撃w田舎だから他にいないのかな?)を呼んで超即物的にことを済ますのだけど、父とは違って事後に「ご飯食べる?ちょっと話さない?」なんて声をかけるところ、ああ、孤独なんだな、って感じて切ない。
ほんと、彼の演技力なら容色衰えても全く無問題で、長生きしたらそれこそビリー・ボブ・ソーントンやダニエル・デイ=ルイスみたいになれただろうに・・・と思うと本当にもったいない。美しいまま永遠に時を止めて早死にするのもそれはそれでカッコイイ、という見方もあるけど、ヒース・レジャーの場合はただただもったいない。もっと観たかった。悲しい。
『チョコレート・ドーナツ』『苺とチョコレート』に続いてめちゃくちゃ良い映画だったので、チョコレートがつく映画にハズレなし説を打ち立てられるかも知れない(現題は"Monster's Ball"だけど)。涙必至の名作でした。
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ここからは完全な私の妄想で、何か根拠があるわけでもなんでもないのだけど、この映画をなぜか元首相の森喜朗に重ねて観てしまった。笑。
森さんは数々の不祥事・失言で、今や国中の嫌われ者のようになってしまったとはいえ、元総理で最近も東京オリンピック名誉最高顧問(?)になったとかならないとか、森家随一の出世頭であることは間違い無いでしょう。実際に会ったら人懐っこくて憎めない人なんじゃないかな、という気はする。私が男で、彼が後輩だったら可愛いと思う。
森さんのお父さん・森茂喜という人の人柄は全く知らないけど、早大ラグビー部在籍→軍人→政治家、という経歴を見る限り、かなり体育会系の「男!!」みたいな人だったのかなと推測できる。森さんは良くも悪くも鈍感力が高そうなので特に苦もなく父の期待に応えることができて、父と同じく早大ラグビー部から政治家を目指し、総理にまで上り詰めたのだろう。
そして森さんの息子・森祐喜も同様に政治家を目指すけど、裏口入学を公言していた父の時代とは違うのか、父の権力を持ってしても入学できなかったのか、有名大学には入らず中退して、金持ちのドラ息子定番の海外留学、秘書などやって頑張って当選するけど大成せず、不祥事で議員辞職。そして2011年に46歳の若さで謎の死を遂げることになる。ヤク中だった説や自殺・他殺説、果ては押尾学事件絡みで暗殺された説とか、死後も何かと変な噂の絶えない人だ。勝新太郎の息子の鴈龍と同じ匂いのする、自業自得といえばそうなんだけど、どこかかわいそうな感じのする人で、なぜかずっと気になっていた。
森さんのいろんな意味で明るいキャラクターと人生に、一筋の暗い影を落とす長男の死。あの時の「ずっと父の存在が重かったのだろう。かわいそうなことをした。」という森さんのコメントが妙に心に残っている。
本当に全く関係ないんだけど、父子三代繋がりで、ビリー・ボブ・ソーントンを見ながら「なんであのとき変われなかったの、森さん・・・!」と思ってしまったのでしたw
★NANASE★
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