由宇子の天秤
すこぶる評判が良いらしいと聞いて、『由宇子の天秤』(春本雄二郎監督、2020年)を日比谷シャンテで観てきた。
「火口のふたり」の瀧内公美が主演を務め、「かぞくへ」の春本雄二郎監督が情報化社会の抱える問題や矛盾を真正面からあぶり出していくドラマ。3年前に起きた女子高生いじめ自殺事件の真相を追う由宇子は、ドキュメンタリーディレクターとして、世に問うべき問題に光を当てることに信念を持ち、製作サイドと衝突することもいとわずに活動をしている。その一方で、父が経営する学習塾を手伝い、父親の政志と二人三脚で幸せに生きてきた。しかし、政志の思いもかけない行動により、由宇子は信念を揺るがす究極の選択を迫られる。主人公・由宇子役を瀧内、父・政志役を光石研が演じるほか、梅田誠弘、河合優実らが脇を固める。2021年・第71回ベルリン国際映画祭パノラマ部門出品。
「面白かった!最高!」と言えるタイプの映画ではなく、観終わったあとかなりモヤモヤするのだけど、このモヤモヤはなんなんだろう、とずっと考えてしまう。152分の中に飽きるシーンは全然なくて、観て良かったと思う映画でした。
瀧内久美演じる主人公の由宇子は、女子高生のいじめ自殺問題を巡るドキュメンタリーを制作するディレクター。当該のJKは教師と不適切な行為をしていたと噂されたことを苦に自殺、相手の教師も無実を訴え抗議の自殺。二人の自殺の原因には、学校ぐるみのいじめや隠蔽だけでなく、マスコミの過剰な報道もあったという視点で番組を作っている。
マスコミを悪く描くな、と言ってくる偉そうなテレビ局のおっさん達相手に奮闘しながら、双方の遺族へのインタビューで真実を報道しようとする由宇子。
あまり前情報を調べずに観に行ったので、まあこういう感じの今風の社会派映画なのかな〜ということで、信念ある若い女性VS保守のおっさん、というわかりやすい構図に、まずは由宇子頑張れ!!と単純に思いながら観ていた。
そして由宇子には、父親(光石研)が経営する学習塾の手伝い、というもう一つの顔がある。生徒と下の名前で呼び合って友達みたいだけど頼り甲斐もあって、生徒達に人気がありそうな先生。
この忙しくも充実した日々が、塾に最近入って来た生徒・萌(河合優実)に妊娠を打ち明けられたことで、どんどん壊れていく。
萌のお腹の中の子供の父親は、なんと由宇子の父親だというのだ。
こういう衝撃的なことがあっても慌てず、ましてやヒステリーを起こすなんてことは絶対になく、まず自分の父親にカメラを向けて事実確認しようとするところが由宇子という人の性格をよく表している。
これまでは監督業と塾講師業が別のものとして由宇子の人生にあったのに、この瞬間からすべてが監督業的になっていく。
教師の淫行事件を追っている時に自分の父親の淫行が発覚した訳だけど、こんなタイミングで安易に父親に告白なんぞされたら、全てが壊れてしまう。
「どうしてもあの番組は世に出したい」、そういうエゴから(萌の「誰にも知られたくない」という言葉で罪悪感を消している面もあったかも)、由宇子は萌の妊娠自体を隠蔽(=手術なしでの中絶)するために奔走することになる。
一方当事者の萌は貧困父子家庭で、父親(梅田誠弘)は悪い人ではなさそうだけどデリカシーはなく、思春期の女の子のことなど全然わからないような人。父娘関係性も良くない。
そういう中で育って勉強も苦手な女の子だったけど、でも「由宇子先生」が頻繁に家に来るようになって勉強から食事から色々面倒を見てくれて、自ら勉強するくらい前向きになる。家の中もちょっと明るくなり、良かったね、と素直に思う。
こうして保身のための部分があるとはいえ揺るぎない信頼関係を築いたのに、今度は萌の同級生の男子から「(萌と)1回ヤっただけなのにしつこくされてホントうざい」「言っとくけど俺だけじゃないし、あいつ売りもやってるから」「あいつのこと信じるなよ、嘘つきで有名だから」という衝撃的な発言。
萌は利用されただけの被害者、みたいな見せ方をそのまま信じていたので、ここは本当に「ええええ〜」と叫びそうになってしまった。他にも相手がいたとなると妊娠させた犯人が本当に由宇子の父親なのかどうかはわからなくなってくる。由宇子の父親も認めてるんだから行為があったことは事実だけど、でも待って、もしかして愛情に飢えている子供独特の感性で、由宇子を味方につけるために由宇子父としかヤってないみたいに嘘ついたんじゃ・・・? とこっちも勘ぐってしまう(※売春の善悪を問いたいわけではなく)。
それに追い打ちをかけるように、由宇子は「いじめ事件の教師は無実を主張するために自殺した」という点を重要なテーマにしてドキュメンタリー番組を撮って来たのに、なんと当の教師の妹から重大な淫行の証拠(しかもレイプ)と、彼女が遺書を捏造したという事実を知らされてしまう。
おそらく捏造したのは妹の単独行動で、母親は息子の無実を信じていたのだと思う。真実を暴くことが残された人を傷つけることにしかならないのなら、なんのための報道?
「真実を報道するため」に頑張って来た由宇子だったのに、結局当事者の遺族を守るため、仕事でも隠蔽することを選ぶ。
そしてこのあと由宇子最大の失策。「噂聞いたよ」と萌を追い詰めてしまう。
子宮外妊娠していて元々まずい状況だったのにショックを与えられたからか、萌はふらついて車に轢かれてしまう。
からの衝撃のラスト。
なんであのタイミングで告白したのか、当事者である由宇子パパの気持ちは? 萌の「誰にも知られたくない」という言葉自体が本心だったら? お父さんに「(告白するのは)自分が楽になりたいだけでしょ」と冷たく言い放ったけど、勝手に告白するのはそれこそ自分が楽になりたいだけでは?
と、いろいろな思いが巡る。
でもこの映画を見ながら私自身何度も騙されて、私も自分のことを「一部の報道だけを見てすべて信じるような人間ではない」「物事を多角的に捉え、その上で正しく判断できるはず」と信じちゃってるけどそれも思い込みじゃない? と改めて考えた。
『由宇子の天秤』の例でいうなら、証拠もないのに淫行の噂を信じて教師をバッシングし、その家族にまで嫌がらせをするタイプの人間には確かにならないだろうけど、「教師は学校側にはめられたのでは?」という逆張りの報道を見たら絶対そっちに勝手に共感し、教師側に寄り添う報道の方を信じてしまうだろうから。本当に人は、「見たいものしか見ない」。
私でいうと、政治家や大企業が自分の身かわいさに何かを隠蔽することに対してはものすごい嫌悪感があるけど、誰か個人が「身近な人を守るため」に嘘をついたり隠蔽したりすることはそこまで責められない。状況にもよるだろうけど、自分がそうしないとは断言できないから。
でも、『由宇子の天秤』でいうと、自殺した女子高生の方は?レイプされた上にビッチだみたいな噂を流されて、踏んだり蹴ったり。自分がその立場だったら真実を白日のもとに晒して相手に死ぬほど苦しんでほしいと思う。でもそんな事実は知られたくないと思う人もいるだろうし、それを強制するのもやっぱりおかしい。
ただ言えるのは、どういう結果になろうと報道に関わる人間が、「嘘をつきたくない」と考えること、それ自体は決して悪いことじゃないはず。
結局は「何が正しいかはわからない」という月並みな感想になってしまうのだけど、冷笑的になることなく、自分がどうしたいのか、自分が大切にしたいことはなんなのかを考えて生きていこう、そんなことを考える映画でした。
★NANASE★
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